札幌市位置指定道路『第1号』の歴史的経緯 ②五輪~現在 | 札幌の不動産屋の言いたい放題

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以前は不動産の真面目なブログを書いてましたが、そっちは新しいブログに移しました。
不動産の事に限らず、映像作品や食べ物や人生など色々なことを書いてゆきます。

さて、3回目にして最終回となる札幌市位置指定道路『第1号』の記事。
前回、前々回と現在の状況と戦後までの過去の経緯を見て来ました。
 ◇ 札幌『第1号』の位置指定道路ってどこにあるの?
 ◇ 札幌市位置指定道路『第1号』の歴史的経緯 ①明治~戦後

今回は引き続き札幌オリンピックから現在までの経緯を追ってゆきましょう。

<昭和40年前後:オリンピックに沸く札幌>
 昭和41年に昭和47年の札幌オリンピック開催が決まると、
 高度経済成長期の勢いもあって、札幌の再開発と宅地化は急速に進んでいきます。

 市内各地に新興分譲団地が開発され、鉄筋コンクリートのビルが建ち始めるのもこの頃です。

 前回紹介した豊平川の『サムライ部落』も解体され、住民たちは白石区を始めとした『更正住宅』に収容されました。
 
 札幌市郊外の大開発と並行して、中心部の既存市街地も徐々に改造されてゆきます。
 北10条西1丁目も、徐々に大きな建物が出来てゆきます。
 昭和40年の『札幌市全戸別明細図 大通以北版』(発行:㈱央文社)を見てみましょう。

 『常陸銘石』『宮城ホテル』『東医院』『近藤ガス店』『植田製作所』『佐藤建材展』
 個人住宅や長屋が多く経っているほか、大きめの店舗や事業所も目立ってきました。

 昭和45年『ゼンリンの住宅地図』(発行:㈱住宅地図出版社)を見ても、さほどの違いはありませんね。

 ただ、4本の位置指定道路のうち南東の1本は植田医療機械製作所でかなり狭くなっているようです。
 
 また、北西角の店舗が『近藤ガス店』から『近藤ガラス店』に変わっていますね。
 商売替えをした訳ではなく、おそらく前の地図が誤記なのでしょう。

 こうして、昭和47年の札幌オリンピックに向けて札幌の再開発が進んでゆきました。

<昭和50年前後:始まる位置指定道路の『廃止』>
 札幌オリンピック後の昭和55年『ゼンリンの住宅地図』(発行:㈱住宅地図出版社)を見てみましょう。

 『宮城ホテル』が『ホテル北条』となったほか、『東医院』は『メゾン十条』になりました。
 この他にも建物が解体されて駐車場になっている区画が4箇所あるほか、
 更地となっている土地が目立っていますね。

 今まさに札幌で起こっている事でもありますが、
 建物の老朽化と好景気が重なると、一気に再開発が進んでゆくのです。
 この頃も『出雲教會』の跡地に建った同時期の建物が限界を迎えていたのでしょう。

 初回の記事で紹介した現存するアパート『和幸荘』もこの頃に建築されたようですね。

 再開発に伴って、位置指定道路の廃止も進んでゆきます。

 『0312 位置指定道路を変更・廃止したいとき』で紹介した通り、
 位置指定道路の廃止には、道路に面する敷地の所有者全員の承諾が必要となります。

 札幌オリンピック直後の昭和48年には北東の1本が廃止され、
 昭和56年には北西の南半分、昭和57年には南東の南半分が廃止されます。

 この時点で、位置指定道路の面積は当初の半分以下となってしまったのです。

<昭和末期から平成へ>
 昭和を跨いで平成2年『ゼンリンの住宅地図』(発行:㈱ゼンリン)を見てみましょう。

 前年の平成元年には南西の北半分が廃止されて、南西の位置指定道路が姿を消しました。
 建物の解体は更に進み、駐車場が増加しているのはモータリゼーション
 つまり自動車の一般化とも無関係ではないと考えています。


 『北10条グランドハイツ』『青雲学生会館』など高層建築物も目立ってきましたね。

 『北10条グランドハイツ』は昭和58年1月に建築された建物ですが、
 前述の通り、その敷地の下になっていしまった北西の位置指定道路の南半分は昭和56年に廃止されています。

<バブル崩壊後:廃止される道・変わる建物・残る地型>
 この後、バブル景気は崩壊し、札幌の経済はドン底まで落ち込む訳ですが、
 北10条西1丁目に関しては、北海道大学に近い好立地という事もあり、
 現在に至るまで学生向けの賃貸マンションなどが積極的に建築されています。
 この区画に現存する建物を分かる範囲で建築年順に並べてみましょう。
 『MCビル』(平成3年築)
 『エスセーナ北10条ルネス』(平成10年築)
 『クレール北10条』(平成12年築)
 『リビオ札幌』(平成16年築)
 『タクメナー』(平成16年築)
 『パンシオンN10』(平成16年築)
 『アンエディ北大前』(平成17年築)
 『フォーレストビル』(平成26年築)
 『スペチアーレ札幌』(平成27年築)

 うーん、投資の対象として学生街は手堅い物がありますからね。
 平成20年のリーマンショックの前のプチバブル景気の際に4棟
 平成26年の消費税8%増税後から現在に至る不動産高騰期に2棟が建築されました。


 学生向け賃貸マンションにしても分譲マンションにしても人気のエリアであると言えるでしょう。

 一つ注目して頂きたいのですが、建物が移り変わっても基本的に昔の地型は継承されています。
 土地の敷地がそれぞれ別の所有者のものになってしまうと、
 建物の耐用年数が来る度にそれぞれ建替えられ、土地が売却される場合でも、
 綺麗な形に整えられる訳ではなく、地型が継承されていく、という現象が起こります。

 北側区画の南東角にある『エスセーナ北10条ルネス』などは、
 大規模な用地買収が行なわれたようですが、北側に張り出す特徴的な形状となっていますね。

 位置指定道路は平成11年には南西の南半分が廃止、平成15年には北西の北半分が廃止され、
 位置指定道路『第1号』は現在の、南西の北半分を残すのみとなってしまいました。

 前述の通り、このエリアは北海道大学の学生街で人気がありますから、
 今後も恒常的に建物の建て替えと再開発が行なわれていくことが予想されます。 

 そして、現在残る位置指定道路『第1号』は、和幸荘が耐用年数を迎える事によって役目を終え、
 おそらく近い将来において廃止され、マンション用地となってしまう事でしょう。

 悲しい事ではありますが、人の営みを止めることは出来ません。
 今、かろうじて残されている、札幌で最初の位置指定道路を記録に残せたことを幸いに思います。

 もし、ご興味があれば是非一度、『第1号』を見て頂ければと思います。