(続き)
元旦の夜は能登空港の駐車場で車中泊。
停電の為、空港の中は真っ暗でまだ安全確認もできていない為入れないらしい。
そのうち輪島で火災がおきたとニュースで見た。
最初は1、2軒に見えた火事が次に見た時には更に範囲が広くなってた。
その次には朝市全体に見えた。
道路が悪いせいだけじゃなく、断水のため水も出ない。
辛かった。
弟の家も割と近く半ば諦めてた。
でも明日も動かなきゃだし、何とか寝よう!となった。
車は寝辛く、夜中に何度もトイレへ。
トイレは断水のせいで洋式トイレにトイレ用の袋を1人1枚貰ったのを入れてそこでした。
終わった後は固まる粉を振りかけて袋を結んで外のゴミ袋に捨てる。
寒いせいか、ストレスのせいか、いつトイレに行っても人がいっぱいだった。
トイレの前に、県の職員さんだろうか?みんなに袋を渡したり説明したりしていた。
ずっと。
頭が下がる思いだった。
少なからず、職員の方の家も被災しているだろう。
当たり前のことだけど、トイレに行くたびに全員にありがとうございます!と声をかけた。
夜中、水を持っている人がいたので、その方向へ行ってみた。
水2Lとカンパンを配っていたので貰って車で食べた。
めちゃくちゃ美味しく感じた。
ここでまた、家族を思い「私だけ」と涙が出た、
早朝、目が覚めると何やら人がゾロゾロ。
避難してきた方が夜の倍以上に増えてた。
物資の配給をしていた。
お粥を貰った。
お湯を入れて15分待てば出来上がり。
温かいものを食べてホッとした。
これからどうしようと思った。
輪島に帰る道がない感じ。
現在通れるかわからないと。
このままずっとここにいるわけにも行かないと、相方が食べ物飲み物も買えるし金沢へ行こう!と提案してくれたので、そうすることに。
こんなの序の口だった。
道は崩れて、家も半壊や全壊が多い。
ただ、金沢方面へ向かっているので、少しずつ道は良くなっていった。
でも大変だったのがトイレ。
まだ仮設トイレなんか来てない。
どの公衆便所に行ってもトイレの便器の中は山盛りに。
私も仕方なくその上から用を足した。
金沢へは約6時間ほどかかった。
昔からお世話になっているホテルに連絡をし泊めていただいた。
すごく親身になっていただいて。
この日は和室で泊まりシャワーもしたし、ゆっくり眠れた。
ただやはり、家族を思うと涙が出た。
幸い家族は自主避難所に行ったので安心できた。
輪島は津波の影響はなく家に食べ物を取りに行ってきたから心配しなくていいとのことだった。
お正月だったから食べ物はたくさんあると。
安心した。
(この時、津波の影響は無いと思っていたが地震の影響は大きかったことをまだわかってなかった)
朝起きて、必要なものを買おうと奔走したが、ホームセンターを梯子。
欲しいものは全て売り切れていた。
1日中走り回り、何とか車をパンパンにして車を輪島へ向けた。
やはり道は少しずつしか進めず、夜になってしまった。
穴水まで辿り着いたけれど、そこから先は通行止めにらなってた。
夜になって危険だから通行止めになったらしい。
穴水のどんたくの駐車場で車中泊しようとしたら、スマホの電波がない。繋がらない。
中島の道の駅まで戻りそこで車中泊した。
家族に電話をしたら、親戚ばかりと自主避難所にいるから心配しなくていいと言われた。
わーわー声が聞こえて安心した。
そして私はこの日、野ションをした。。。
悲しかった。
結局、この後も数度することに。
ちょいプロになった。
目が覚めて、早速輪島に向かった。
夜に通行止めになってたところは解除されていた。
出発前に色んな方からLINEで、パンクした車が山ほどおったから気をつけて!と連絡が来た。
ゆっくり走った。
昨日より、だいぶ道の土砂や岩が片付けられていた。
それでもデカ過ぎる岩があったり、
めちゃくちゃ崩れてたりした。
不安しかないなか、3日振りに輪島に帰ってきた。
③へ続く