51週間… | お空のパパと子育て中!(ひとりじゃない)

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2014年7月スキルス性胃ガン発覚した旦那さんを支えたいと、闘病記録と共に経過を記録してましたが、残念ながら2015年3月31日、娘の誕生日を見届けて旅立ってしまいました。現在中学生になった娘と小学2年生の息子と共に支えあいながら前を向いて頑張っています。

昨日は旦那さん亡くなって51週間…でした。

1年前の今日23日は診察日でした。
サードラインの抗がん剤の経過をみました。
残念ながら、全く効果なく、数万単位で腫瘍マーカーが増加してました。
主治医からもサードラインの抗がん剤は使えないこと、もう使える抗がん剤はないこと、食べれなくなっていたので、少しでも体力をつけることの提案がありました。
私も…正直、もう抗がん剤ではなく、少しでも長く…一緒にいれることを考えなければならない…。もう、抗がん剤はやめようと心のなかで思っていました。

でも、旦那さんは…止めない
『最初にした抗がん剤が効果があったし、半年あいたので、使えると聞いてる。それをまた試したい』と言いました。

泣きました…
初めてお医者さん、看護師さんの前で、私は涙を見せてしまいました。
『大丈夫?抗がん剤休んで、少しでも食べて体力をつけた方がいいよ』
でも、『大丈夫。食べれてるし、まだやれる』そういう、力強い旦那さんの言葉に主治医も、私も…負けて、ファーストラインと同じ系統の違う抗がん剤を、処方して貰いました。そして、栄養剤の点滴をして帰りました。抗がん剤は今晩から…と。

午後、帰宅して何も食べてなかった旦那さんに栄養ゼリーを渡して、私は仕事に三時間ほど行きました…。

そして夜8時頃帰宅したら、『あのゼリー、グレープだったんやなぁ~』って言うので、『えっ!?グレープちがうで。グレープフルーツ味やから、透明やったでしょ…』と答えると、ビックリしたように、『気持ち悪かったからさっき少し吐いたんやけど、グレープの色やったから…』って。もしかして…?

それからしばらくして、また吐き気がありトイレへ。
ゼリーじゃありません。
吐血でした。

すぐに子供たちだけでお留守番させて、病院へ向かいました。
ここでの内科医の対応の悪かったこと。
今でも腹立ちます。
『もともとの病気があるので、それが原因だと思われますので、できることはありません。吐き気止めの点滴だけしときます』だと。
『はぁ!?』
旦那さんは点滴してもらい、吐き気が落ち着いたので、帰ろうと言うし…。
『こんな状態ですることない!?帰れと!?もともとの病気があるって、そんなんわかってんねん。』結局…だいぶ待たされて、3回目に私たちの所に来たとき、外科医を呼び出してくれて、そのままICUに入院となりました。
もともとの病気があるから、することはないと言った患者が、ICUですよ。
ちゃんと見てもらえるという安心と内科医に対する不信感でいっぱいだったの忘れられません。内科医だろうが、外科医だろうが、緊急外来、信用してこっちは行ってんねんって思ったけど、仕方ないのかなぁ~。
緊急外来で待ってる間…
子供たちにご飯食べさせるために帰ったり、お風呂入れるために帰ったり、往復していて、入院決まってICUへ移動してからまた必要なものや着替えを取りに帰ったりしながら、道中…
覚悟しなあかんのかなあ…
と泣きながら運転してました…。

夜中2時に外科医からムンテラを受け、
今日処方した抗がん剤はもう使えません…
明日詳しい検査をするけれど、おそらく胃からの出血なので、止血剤ではどうにもならない…輸血をしながら対処療法になると思います…。会わせてあげたい人がいるなら…今のうちに会わせたりしてあげてください…と。

テレビでよく見る場面…
実際に私の身に、私たち家族に起きてる…

思い出すと 胸がきゅーと締め付けられて苦しく悲しくなります。

そんな事を
ちょうど1年前だなぁ。
1年経ったんやなぁと思いながら、

改めて頑張ってくれた旦那さんに感謝して
20時46分…家族で手を合わせました。

旦那さんありがとうラブラブ
あなたの声が聞けなくなって、話せなくなって、もうすぐ1年なんですね。

頑張ってくれてありがとうラブラブ
愛してるよ桜