すぐ仕事が立て込むとブログが疎かになる。。。
皆様、ご無沙汰してます。

世間的にはクリスマスですが、独身の僕には縁なきイベントです。
それはおいといて、今日は、最近ちょっと思う事を書き綴りたいと思います。


それは「スルー力」という言葉です。


この言葉については今更説明が不要な感じはしますが、これは高林哲氏が提唱者と言われています。彼によればスルーとは「ものごとをやり過ごしたり見て見なかったことにしたりすること」。つまりスルー力とは「やり過ごしたり見なかったことにする力」ということです。

これはどういうことかというと、情報が氾濫し人間の個人の処理能力を超える分量になってしまうと、情報の摂取行為自体が本来の意味と目的を失いかねません。そんな時、自分の中での情報処理、作業において、スルー力は自分にとって都合の悪い情報はスルーし、マイペースを保つことで効率性を上げようという意味であると僕は理解しています。


しかし、昨今の中高生や大学生、そして若手の社会人の中には「都合の悪い意見を聞きたくない」「批判受けたくない」という思いから「そんな時こそスルー力」とか言っているのを見て、なんかおかしくない?と思うようになりました。


中高生から若手の社会人って、人生の中で一番人から怒られ、叱られる時間だと思います。だって、間違った事してることが多いだもの。ある意味当然の流れだと思うんですね。ところが昨今は都合の悪いことは一切聞かない、無視してOKという代名詞が「スルー力」になっている気がします。それってかなり怖いことだなと。


僕はかつて放送業界にいてADを経験した時、先輩ディレクターからいっぱい怒られ、叱られ、怒鳴られました。正直「殺してやろうか」と思ったことも1度や2度ではありません(苦笑)。でもそのおかげで「なぜ、あの時○○さんは僕を怒鳴ったり叱ったりしたんだろうか」というのが、今の年齢(当時の先輩ディレクターの年齢)になって分かってきました。


人が人を叱ったり怒鳴ったりするのは、とてもエネルギーのかかることです。正直、疲れます(苦笑)。だとするならばそんなことはしないに越したことはない。でもなぜ、そうするのか、なぜ厳しいことを言い、なぜ大声をあげて怒鳴りちらすのか、それはその人に向けて「1日も早く成長してほしい」「自分たちと同じように番組を作れる仲間になってほしい」という思いがあるから、期待があるから、その裏返しなんですよね。


ところが今の中高生から大学生、若手社会人になってしまうと、叱られることに対して極度に反射的にバリアを張る。そして「スルー力」で流して聞こうとしない。それがどんなに建設的で論理的な話であっても批判なら一切聞かない。褒めてくれる人や持ち上げてくれる人なら反応する。そんな身勝手なことで、世の中渡って行けるほど甘くないと思うのです。


だからそんな時期に忠告や提言、批判に対して耳を貸そうとしない態度は、本人たちは「スルー力」で得意げになっているのかもしれないけど、まぁ、見てて滑稽というか哀れですね。もっとも、こんなこと言ったところで「スルー」されてしまうのでしょうけど。


本来、スルー力を使わねばならない人というのは、仕事が多岐にわたり、かつ数多くこなさなければならない人が己の集中力を高めるために必要なもので、子供の勝手なわがまま思考(都合の良い意見は受入れ、都合の悪い意見は無視、シカト)の為にあるものではないと思います。そこをわきまえているかどうかで、その人の後生が決まると言ってもいいではないかと。


今はともかく、10年後、20年後、確実に差が開いていると思いますけどね。