日本会議の研究 [ 菅野完 ]

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現政権を大きく支えているといわれる日本会議。その成り立ちに斬り込んだ凄い本。
発売されるや否や入手困難になるほどのベストセラーになった。
とある筋から出版中止を要請されているとか。
こういう本や論説はもうすぐ出せない世の中になってしまうのだろうか。あるいは菅野さん、消されてしまいはしないだろうか…と、危惧しつつ読んだ。

政治の本質は、「まつりごと」とか卑弥呼とかの時代から変わらないのかもしれない。
何十年にも渡り、人を政治的運動に動員し続けるのは話を聴くだけで病気が治ってしまうようなカリスマ性、あるいは宗教的に盲信させてしまう力。
そしてそのカリスマになっている人間の、怨念ともいうべき政治的執着心。
卑弥呼の時代もそうだったが、そういうカリスマは滅多なことでは表に出てこない。だからこそ余計に崇拝され、崇高なものとの錯覚を「信者」に与える。
で、その「怨念とも言うべき政治的執着心」が、日本会議のカリスマの場合はただ一つ「左翼憎し」ということ。
つまり、日本会議のカリスマの「学生時代に左派の学生運動の連中に殴られた怨み」が、病気も治ってしまうようなありがたみという化けの皮を着ることで、盲信している人を動かし続けていると。

というわけで、日本会議のカリスマというのは少なくとも現首相ではない。それどころか、歴代首相でも閣僚でもない。
彼ら政治家は、日本会議のカリスマ性に乗っかってそれを利用しているだけか、あるいは彼らもどっぷりそのカリスマの「信者」になっていて、全力で動かされているかのいずれかだろう。

そのカリスマが、とある宗教の関係者にいるということはよくわかった。

しかし、その宗教自体はどちらかといえば新興宗教に近い。しかも政治的志向絡みで分裂までしている。そこの信者だけでは、日本全体を右傾化させるに至る動員数は見込めないだろう。
どうやって他の宗教(それも一見対立していそうなもの同士まで)のトップたちを日本会議に引き込んだのか。そこはあまり述べられていなかった。先々別の本などで(将来、菅野氏の後著に出てくるかもしれないが)考察する必要があるだろう。

ともあれ、カリスマの理念が本当に崇高で博愛的なものなら、たとえカリスマに政治を握られても世界は平和で皆が幸せに(あるいは皆が等しく辛抱しながらそこそこ幸せに)生きていられるんだろうけど。
その理念が「怨念」というのではたまったものではない。
怨念が政治的理念にあるとどう動くか。ISなどという極端な例が今でもあるではないか。

ああでも…現首相の場合は、そのカリスマの「左翼憎し」という怨念と、現首相の「我が祖父が、戦犯呼ばわりされている」あるいは「自分は戦前ならもっと高貴でいられたのに」とかいう怨念が、シンクロしているのかもしれないな…。