学びや気づきが欲しくて、それを提供してくれる人や場を求めて、
みんなセミナーだのセラピーだのなんとか会だのなんとか先生のところに赴くわけだけど。
あ、別にスピリチュアル的なことに限らず、ビジネススキルや専門分野でもね。

あるひとつ、または一人、に師事をあおいでそこに留まり続けるっていうのは、うーん、どうかと思う。

で、その人のことが頻繁に会話に出てきたり自分自身の行動やモノの見方の指針になってたりしたら、
それはもう、

囚われてる

って状態なんじゃないの?


それって結構キケンだと思う。
しかも、その状態に本人が気づいてなかったら、かなり、重症じゃない?

わかってて、今は自分に自分を立たせるチカラがないから、
てことで、この人この理論に傾倒してます、
ていうのは、わかる。
誰でもそういう時はある。
子供が義務教育を経て社会人になっていくように。

でも、そんな長くはいないでしょ、巣立つでしょ。
それをいつまでも同じとこにいて、
しかもそことは離れた集りでもその話題だし続けるって、それってどうよ。




同じように学びを得ようとして
同じ場にいて、
すがってる人、とらわれてる人、自らを高めていく人

その違いはなんなのか、どこからくるのか
前からその疑問はあったけど、
最近とくに感じる。




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