ウリ民族フォーラムin埼玉 準備 ③ (サイタマンのMF報告書 FILE.19.20) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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朝鮮新報より



http://chosonsinbo.com/kycs/?p=147






 






サイタマンのMF報告書 FILE.20






「おすぎの話~『スマホ』の『ホ』は、なぜ『フォ』じゃないの





彼は戸惑っていた。

第1回IT宣伝部会議。耳慣れない言葉に戸惑い、場違いな自分を感じていた。「SNS」は分かった。「ドメイン」もOK。「ガラケー」の「ガラ」がなんなのかも知っている。でも「Cloud(クラウド)」はギブアップだった。会議に参加しているメンバーの、専門用語が行きかう話を、何となく「感じ」で聞いていた。やっぱり場違いじゃ… 心がcloudした。

彼の名を、仮に「おすぎ」とする。別に新宿界隈の二丁目の住人ではないし、ピーコも他人だ。朝高卒業後、同胞金融機関で働き、25才で家業に入った。青商会には、2009年から参加している。今年で5年目。

おすぎはこの1月の総会で、南部地域青商会の副会長に任命された。それまでは幹事長を務めた。おすぎが幹事長になることに皆が賛成した訳ではなかったが、地域の会長は「潰れるか、化けるか」の二択で、後者に期待を寄せた。「あいつは、話は長いが、間違ったことは言わない」-会長の、たまに揺らぐ、信頼がある。

おすぎが取り組んだのは、入り組んだ地域青商会の「IT化」。メーリングリストによる地域の連絡網を構築し、面倒くさがる先輩たちの携帯を借りて登録してもらった。LINEにも登録してもらい、気軽に色んな意見交換が出来るよう模索した。勿論、今まで通り電話連絡も欠かさない。

それでも幹事会の参加者が1ケタの時は、やっぱり心がcloudする。

返信は、参加。でも欠席。

次は、次はで、連絡に明け暮れた幹事長業務だった。

自分がこれまで朝青や青商会活動に関わってきた中での最大のイベントを9か月後に控え、自分がなぜ「IT」なのか。その疑問は氷解しない。チャットで行う会議外会議では、分からない単語やアルファベットが、雪崩のように瞳を滑る。

でも、おすぎは思う。

人は、人と会って話さなきゃ。「face to face」が事業の基本。ITは手段であり、そこに介在する人こそが本物。そこに自分の役割があるはずだ。第1回のIT宣伝部会議が終わった時の、おすぎの強がりな感想である。

結局、幹事長だった1年で、おすぎが潰れたのか、化けたのか。その結果はまだ出ていない。地域青商会の副会長としてのこの1年で、フォーラムに向けたこの1年で、その結果は左右される。そう、おすぎは思っている。

埼玉県内の5つの地域青商会の中で、生粋の埼玉ハッキョ出身の同級生は、彼と北部のスーという伝説のストライカーであった会長の二人だけである。他地方出身者を合わせても4人。同級生のほとんどは、青商会の活動に参加していない。同窓会には集まるのに、青商会には無関心。中には、子どもをアメリカンスクールに送っている同級生もいる。「埼玉ハッキョは昔と何も変わっていないから」という理由を聞いた時、本当に悔しかった。

そんな同級生たちに、自分たちが作り上げた民族フォーラムを絶対に見てほしい。

埼玉ハッキョは大きく変わったけど、変えちゃいけないものは変えていない。変えないことが、悪ではない。変えちゃいけないものを変えたのは、自分たちではないのか?

同級生の目を覆うcloudを、フォーラムという陽光で晴らしたい。

それが、おすぎの、フォーラムに対するモチベーション。

話は長いが、間違ったことは言っていない。

そして、「cloud」の意味も、ちゃんと分かっている。(埼玉青商会 2013.1.24)





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サイタマンのMF報告書 FILE.19




「トナカイの話~今日はちょっと違う感じで」


ここに一人の青商会会員がいる。

仮に名前を「トナカイ」とする。トナカイは、朝大の情報処理学科の出身である。短期学部の情報処理学科ではない。設立当初の理工学部情報処理学科の出身だ。だからトナカイは、飲み会の場で「学部自慢」が始まると、少し戸惑いながらも自分は「理工学部」出身だと呟くように話す。トナカイが、私はシカ科だと言うかのように。

朝大では1年目に学習部長、2年目に班長の重責を担った。朝高時代は長が付く役職とは無縁であったのに、だ。消去法の人選ですとトナカイは恐縮するが、見た目とは違い、どちらかというと素直で真面目、そして鼻ではなく、根が赤い。ちなみに見た目は、ロン毛の天パ。飲み会の席ではよく「チャンウラ同志」とからかわれる。

情報処理学科卒業後は、朝大の研究院に研究生として在籍し、エンジニア系の専門学校に通った。当時の朝大研究院の中では特別な存在だった。朝大の教員や日本の有名大学の研究者、法律や芸術の専門家として「配置」されていく同期生を後目に、自らはリアルな就職活動を行い、そしてトナカイは、日本のIT関連企業に入社する。同期生に対し「引け目」がなかったと言えば嘘になる。でもトナカイにはトナカイの仕事があるし、鹿には鹿の役目がある。子供たちにプレゼントを渡すサンタだって、トナカイがソリを引かなければ、出発できない。そんな感じで割り切った。

入社して9年。トナカイは32歳になった。

130人の従業員を抱える会社のちょうど中間、今は主任として、一つのプロジェクトを任されている。その間、結婚もした。子供は3人も生まれた。埼玉に住むカミ様の同級生の、半ば詐欺のような強引な誘いに惹かれ、長女の幼稚園入園を機に、東京から埼玉に引っ越した。元々のトナカイの出身地は兵庫県である。ITのスキルがあるという噂を聞きつけた青商会の会員が、埼玉ハッキョの50周年イベントのスタッフに、これまた強引に誘い入れ、50周年イベントに携わったスタッフということで、いつの間にかトナカイは、地域青商会の幹事になった。青商会の中では、トナカイは後輩も後輩である。彼の後輩は、皆、朝青員だ。だから地域のクリスマス会では、有無を言わさずトナカイの役を任された。これこそ消去法の人選であったが、トナカイに拒否権はない。「シカじゃねーし」と書かれたTシャツを着て、トナカイは、トナカイ役を熱演した。

トナカイは今、民族フォーラムの実行委員の一人になった。

民族フォーラムという一大イベントを前に、トナカイは自分に何が出来るだろうと、必死に考えた。そして考え付いたことは、とても自分一人で解決出来ることではないし、そもそも自分の考えていることが正しいのかも自信がなかった。まして自分は、青商会の中でも一番の新参者。どうすれば自分の考えが先輩たちに伝わるのかを考えに考えた。

だからトナカイは、人に会う事にした。

先輩、後輩問わず、色んな人に会い、そして自分の考えを語った。トナカイにも、会う相手にも、時間に余裕がある訳ではなかったけど、時間はどうにか作り出した。時間がないと言っているほど暇なのだ。本当に時間が必要なら、それは作り出せる。夜中だったり、ファミレスで朝食を食べながらのミーティングだったり、年の暮れ、正月の3が日にも、人と会い、そして自分の理想を語った。話を聞いてくれた人は、それぞれに自分の思った事を言い、トナカイにアドバイスをした。トナカイはそのアドバイスを素直に聞き入れ、企画書を練り直し、また人に会いアドバイスを乞うた。そうしていく内に、アドバイスをくれた先輩たちは、どんどんトナカイの「味方」になっていった。いつの間にか皆が、トナカイを応援してくれるようになった。

ITではない、アナログな手法だったけれど、それが先輩たちの心を打った。

人と会い、夢を語る。それこそが、我々の原点だから。

1月7日。民族フォーラム基本協議体会議。

果たしてトナカイの提案は、満場の一致をみた。何もない所から何かを生み出すことは容易ではないから。けれどトナカイの心の中は、失敗の不安より、チャレンジ出来る喜びに溢れている。

なぜそんなに頑張れるの? トナカイに聞いてみた。忙しい仕事やフォーラムの準備の傍ら、週末には朝大の教壇に立ち、学生たちを教えているトナカイは、少し考えてこう答えた。

「朝大を卒業する時、情報処理科の1期生として、ITを用いて同胞社会にイバジしようとみんなで誓ったんです。今回、埼玉の民族フォーラムというチャンスをもらった。だから年齢とか経験とか出身地域とか関係なく、全力投球で頑張りたいと思っているんです。意外でしょ?」

卒業して12年。

住んだところが「地元」、送った学校が「母校」。

そう、トナカイは、ここ埼玉で、今でも情報処理学科の「班長」をやっている。

この熱いトナカイが、今回のフォーラムでどのような活躍を見せてくれるのか、サイタマンとしては期待が大きい。

(埼玉青商会 2013.1.17)