◆「借りたものは返さなければならない」。これは市民社会の大原則。そしてキリスト教中心の世界では、宗教改革以降金利を取ることも「是」となった。石油資源を潤滑に持つ中東諸国のイスラム金融資金もが、教義をうまく理解し、その金融力を生かし始めている現代である。

◆狭い新聞業界の世界でも「貸した」・「借りた」の行為は時として行われてきた。誰が何と言おうと、日本は資本主義体制下にある。私風に言えば、資本主義とは「more and more すなわち もっと・もっとの裕福を求める」の世界であり、それを裏打ちする生産の向上が不可欠になる。その際に再投資の機会が出現し、「貸した」・「借りた」の行為も現出する。これは向上のための一手法と言える。

 ただ最近の新聞業界を見ていると、それが向上の為の一手法とは思えない行為が多くある。仄聞するところによると、今回の金融危機で、ハイリスクの投機とは無関係と思われていた新聞業界にあって、一部の新聞社が企業年金を投資ファンドに委託して、かなりの損出を出したというのだ。「みんながやっているから安全だろう」という安直な発想からだとしたら、それは経営者失格であろう。

◆折込の急減で、収支悪化に喘ぐ販売店の一部が、「納金」と「拡材代」という2大公的支出対策として、急遽の融資対策に動いている。11月の麻生首相の中小企業救済の緊急融資対策に走ったものの、前提の「納税資格」が達成されておらず、門前払い。焦って旧ノンバンク、はては街金まで手を伸ばす輩までいるという。本当に返済できるのか。一時凌ぎものの行為としか思えない。そして向上の為の一手法ではないとはっきり言える。

◆まさかありえないと思うことだが、部数の貸し借りのことである。新聞社と販売店はその取引契約で自由増減が謳われており、法律にも決められている。ただ一部の報道や、現職の店の人達からも「部数増減は担当社員とのやり取りで決まる」と聞く。ここでは貸し借りが発生しやすい。まさか店が借りるはずはないから、あるとすれば担当社員側だろう。私が担当員の時は定数が出るまでは電話に出ない姿勢をとっていた。それが当り前だ。定数は前日までは、厳しく追い、出ればそれは当然自由増減である。貸し借りは皆無だったと言える。万が一今、あるとすれば、即時修正すべきである。新聞販売の神様といわれた”務臺さん”が泣く前に。そして今一度確認しよう。「借りたものは返さなければならない」という社会の大原則を。