文化も技術も繁栄も無かった欧米人が見た朝鮮



G・W・ギルモア『ソウル風物誌』
 G・W・ギルモア (George William Gilmore, 1857~?) 米国の神学者
人々は怠け者で、放心しているように見える。村は非衛生的で、家々も興味を引かない。観光客の記憶に皮相的にでも残るものがあるとしたら、ただ長居をしたという記憶の他にはない。(p. 20)
あ る人が相当な量の金を貯蓄しているという事実が知られれば、官吏たちは借用を要求するだろう。万一それが拒絶されれば、その人は何種類かのでっち上げられ た罪状で投獄されるだろう。その罪人ならぬ罪人は、その要求を充足するか、頑固に切り捨てることでその官吏たちに自分の安全を憂慮させるか、自分の親戚た ちが要求額を支払うか、あるいは何らかの妥協案を出すまで、毎朝鞭打たれるだろう。(p. 28)
固有言語とともに、通信文や公式文書等々の媒体 として漢字が通用するという事実を、われわれは知っている。固有言語で文を書かないわけではないが、高級文学では固有言語を使わず、安価な小説類でのみ用 いる。ほとんどすべての哲学・宗教・倫理に関する文は、漢字で書く。このような事実は、中国の文化と文字が朝鮮半島を掌握していることを示している。中国 の孔子や孟子の古典が、ここでは聖典として通用しており、学者を自認する人は必ず漢字をたやすく読めて速く書けなければならない。それが出世の方便で、さ もないと官職につけない。(p. 53)
。(p. 62)
日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。日本女性の目には、ほ とんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。 ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。彼女らの人生は深刻で真摯だ。したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特 徴的な姿である。(p. 64)
韓国人は、清潔さの問題では多くの非難を浴びるだろう。東洋では警句を学ぶ。外国人たちは、韓国人をさかなに ジョークを言うことを好む。ある英国人は、朝鮮では最も清潔だという人物が、彼がこれまでに見た中で最も汚い人物だったと言ったことがある。彼が意味する ところは、韓国人が地球上で最も汚い人々だということだ。(p. 74)
朝鮮で疑う余地もなく国家の発展を妨げている伝統があるが、それは他でも ない両班たちである。たとえ自分の財産で暮らしを建てて行けなくても、彼らは生計のために肉体労働や生産活動をすることはない。両班は飢えても物乞いをし ても、働くことはない。親戚の援助を受けたり妻が生計を建てる場合でも、両班は絶対にその手で土を触ることはない。(p. 88)
韓国人の知的能 力は優秀である。しかしわれわれは、単純に記憶力を養うだけの学習を警戒せねばならないという事実を悟った。そうした学習はひたすら文章に依存し、後に引 用できるようにする貯蔵作業に過ぎない。それにもかかわらずわれわれは、彼らが立派な論理学者で、聡明な数学者であり、才能によっては前途有望な哲学者で あることを知った。(p. 176)
士官候補生たちは、起床点呼ラッパの音を聞いても起きて来なかった。兵士たちは、どんな軍事訓練もほとんど受 けなかった。一糸不乱さや時間厳守などというものは、全く見られなかった。軍人たちは単に飯のために服務し、軍人精神がなかった。教官たちは歓待と高い待 遇を受けた反面、将校たちの怠慢と無関心、そして不信のため軍事装備を効果的に使えなかった。(p. 181)
朝鮮は独立国なのか、それとも中国の属国なのか? これに対する結論は、簡単には下せない。(p. 191)
公 式的に見ると、日朝関係は最も優秀である。朝鮮の庶民と日本の商人の間で、ときに心理的な摩擦があるが、これは日本人が無理やり取引に持ち込んで途方もな い要求をするためである。しかし一般的に、日本人の立場は善意で貫かれており、日本政府は朝鮮の繁栄を強く願っている。(p. 200)
朝鮮の使用人たちは勉強熱心だが、彼らを訓練するには大変な我慢強さが要求される苦しさがある。まず韓国人たちは、風呂に入る必要性を感じないらしい。家庭内の暮らしで絶対に必要な清潔さを彼らに維持させるには、絶え間ない注意が必要である。(p. 208)

 


 

イザベラ・バード『朝鮮紀行』

 イザベラ・バード (Isabella L. Bird, aka Mrs. J. F. Bishop, 1831~1904) 英国の旅行家・探検家
彼らには東洋の悪癖である猜疑心、狡猾さ、不誠実さがあり、男どうしの信頼はない。女は蟄居しており、きわめて劣った地位にある。(p. 24)
北 京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えてい たのであるから! 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二五万人の住民は おもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どおしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅し かなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。 (pp. 58-59)
庁舎に必ずたむろしている知識層から、わたしたちは育ちの悪い無作法な行為を何度も受けた。わたしの居室のカーテンを勝手に開けて中をのぞき、やめていただけないかと慇懃に頼んでいる船頭に威嚇する者までいた。 (p. 128)
非 特権下級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに 無慈悲な取り立てを行う両班から苛酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借 金を求めにくる。 (p. 138)
出発前、ほこりとごみと汚物にまみれた宿の庭にすわり、うつろに口をぽかんと開けた、無表情で汚くてどこを とっても貧しい人々に囲まれると、わたしには羽根つきの羽根のように列強にもてあそばれる朝鮮が、なんの望みもなんの救いもない哀れで痛ましい存在に思わ れ、ロシアの保護下に入らないかぎり一二〇〇万とも一四〇〇万ともいわれる朝鮮国民にはなんの前途もないという気がした。 (p. 425)
少女向けのこの国独自の学校はなく、上流階級の女性は朝鮮固有の文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は一〇〇〇人にひとりと推定されている。 (p. 439)
まとめとして、わたしはあえてつぎのように提言する。朝鮮の国民の環境は日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはずである。 (pp. 497-498)
朝 鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかってる、つまり「人の親切につけこんでいる」その 体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親 族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。 (pp. 556-557)
わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、韓国人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。
 Ⅰ 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
 Ⅱ 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。 (p. 563)

 


 

ゲ・デ・チャガイ編『朝鮮旅行記』
ゲ・デ・チャガイ編(井上絋一訳)『朝鮮旅行記』東洋文庫547, 平凡社, 1992.
 ガリーナ・ダヴィドヴナ・チャガイ (Гадина Давыдовна Тяґай) はソ連科学アカデミー東洋学研究所の研究員

[ソウルの]町を縦横に走るその他の街路は、約三サージェン幅の狭くて曲がりくねった道で、とりわけ朝夕は悪臭が充満する。つまり、食事の支度が 開始されるその時刻には、街路に面して設けられ、しかも屋根の上ではなくて家屋の裾に開口する煙道のおかげで、煮炊きの煙が一斉に街路へ向けて放出される からである。また汚物がそのまま街路へ投棄される夏には、なお一層ひどい事態になるそうである。 (p. 24)
昼食後、[吉州の]町を見物した。家々はいかにもみすぼらしくて、今にも崩れそうである。次席の家は他のものよりも幾分大きいが、本質的には他の家々とほとんど変わらない。一様に汚くて、みすぼらしいのだ。 (p. 52)
慶興はすっかり荒れ果てた古い町で、汚いことこの上ない。要塞の壁があちこちに残骸を晒している。国有の建造物もやはり一方に傾いでいて、町の移転はもはや時間の問題である。 (p. 63)
朝 鮮政府は現有の軍事力を全く頼りにすることができない。周知の通り、武器を担える朝鮮男子は全員が兵役義務を負っている。しかしながら、多少とも資格を有 する指揮官や組織編制を完璧に欠如するため、これを戦闘力と見なす訳にはゆかないのだ。その意味では、中国軍よりも始末におえない。 (p. 160)
朝 鮮には大きな町の数が概して多くない。これらの町は人口を吸引するほどの魅力を有さず、教育および品物や改良された生産に関する知識がそこから国中へ広 まってゆき、また商業がそこへ集中するといったような中枢の機能を果たしてはいない。韓国人は、まず何といっても農民である。 (p. 285)
学校の与える知識は、極端に乏しい。現行の高官任命方式、また高等教育機関、ならびに自らの識見を伝達することの可能な有識者の欠如は、学術の開花に好影響を及ぼすことがありえず、実際のところ、朝鮮には学術が皆無である。 (p. 303)
朝 鮮の女が置かれている無権利状態のおかげで、朝鮮には、わが国で理解されるような家庭生活が存在しない。彼女は夫の女友達ではなくて、むしろ女奴隷ないし 彼の召使いである。またそれ故に、夫婦は一つ屋根の下に暮らしていても、常に別個の時を過ごすのだ。 (p. 309)
朝鮮の貴族は、総じて非 常に有力で誇り高いが、自らの権利保全にひどくご執心で、その権利を尊重しないような動きが僅かでも見られると、途方もない残忍さでそれを鎮圧するのだ。 朝鮮貴族の人口は今や膨大な数に達している。この状況は、国にとって大きな災厄となっている。 (pp. 312-313)

 


 

A・H・サヴェジランダー『朝鮮-静かなる朝の国』
Savage-Landor, Henry A., Corea or Cho-sen - The Land of the Morning Calm, IndyPublish.com, 2007.
 A・H・サヴェジランダー (Arnold Henry Savage-Landor, 1865~1924) イタリア生れの画家・旅行作家
現 在韓国人が自国を呼ぶときの名は朝鮮で、高麗という国名は完全に捨て去られている。朝鮮という語の意味はきわめて詩的で、「静かなる朝の国」というもので ある。これは現在の韓国人にふさわしい。彼らは祖先である高麗人の活気と力強さを、すっかり失ってしまったようだから。(p. 18)
朝鮮の住民は、私の経験から言うと、あまり洗濯をせず、入浴はなおさらしない。彼らが手を洗うところは何度も見たし、顔を洗うところは時々見た。毎日顔を洗う人は、ごく少数である。(p. 32)
朝鮮音楽は、平均的なヨーロッパ人には不愉快以外の何ものでもない。これは全音と半音、および音階の飛びの違いによるところが大きいが、慣れた後ではその風変わりなところと独創的なところが個人的に気に入った。(p. 43)
都 市としてのソウルの名所は少ない。建物の貧弱さと街路の不潔さ以外に、世界中を歩き回る旅行者の関心を引きそうなものは思いつかない。そうした旅行者は、 わざわざソウルまで来るまでもないだろう。ソウルには美しいものは何もない。しかしあなたが何か風変わりで独創的なものを探しているなら、ソウルほどおも しろい都市はないだろう。(p. 52)
ソウルの街路は、これ以上ないほど不規則に曲がりくねっている。主な大通りを除いて、ほとんどの通りは四 人が横に並んで歩けないほど狭い。下水は家の横の街路の中の、蓋をしていない溝に流される。下水溝のすぐ上に窓があるため、朝鮮の善男善女は家の中では、 すぐ下で腐って行く悪臭を放つゴミの臭いを嗅がずには呼吸できない。(pp. 85-86)
誰もが「搾取」すなわち人の金を横取りする恐ろしいシ ステムに気づいてると思われる。朝鮮全域にわたって人々の顔にやつれと悲しみの表情が見られるのは、実に痛ましいことである。人々はけだるく憂鬱そうに寝 そべり、明日は自分たちの運命がどうなるのかわからずにいる。誰もが政府の形態がどう改革されるのか気にしているが、誰もがあまりに怠惰で、自己の地位向 上を試みさえしない。これが何世代にもわたって続いて来たのである! (p. 93)
王族と貴族の生活は、全体として言えば、きわめて怠惰なものである。運動は下品な習慣で、自分で稼ぐ人々がするものとみなされる。朝鮮の貴族は、肉体労働のようなみっともないことをするよりは、自殺した方がましだと考える。(p. 114)
私 が聞いたところでは、今日の科挙は単なるいんちきで、人々が熱望する学位が得られるのは、文学その他の知識や高い達成度ではなく、単純な買収のシステムに よってである。さらに聞いたところでは、ときに本当に才能がある男子が毎年のように失望を重ねる一方、貴族や金持ちの愚鈍な息子は好成績で合格し、落とさ れることはほとんど、あるいはまったくないと言う。(p. 121)
かつて韓国人は、特に10~14世紀の高麗時代には熱心な仏教徒だったらしいが、現在は一般に宗教的ではない。(p. 124)

 


 

W・F・サンズ『極東回想記』
 W・F・サンズ (William Franklin Sands, 1874~1946) 米国の外交官
な ぜこの国がこれほど荒廃しているのかに対するここの人々の説明は、実に朝鮮的である。彼らの言葉によると、できるだけ外国人を落胆させるために沿岸部は荒 廃させ、内陸では虎を追い出すために森を焼き払い、山はその頂上にある土壌が流れて来るように崩したのだそうだ。(pp. 41-42)
しかし朝鮮女性はあまりに厳格に保護されているため、侵入者から暴行を受けたときでも、告発するよりはこれを隠したほうが安全だと考える。少し高い階級にいる女性たちが家の外に出るときは、長衣で顔を覆う。(p. 46)
西方世界の様子や発明品を眺める彼らの様子は、アブラハム時代のイスラエル人が鉄道や電車や複雑なヨーロッパの装置を見るように当惑している。何も理解できず、また理解しようともしない。彼らは「隠者の王国」であり続けることを願っている。(pp. 47-48)
家 はぎっしりと固まって建っており、小川と路地に沿って集まっている。洪水の季節を除いて、青いごみだらけの下水は床に沿って染み出し、腸チフス・天然痘・ コレラを伝染させる。こんな井戸で女たちは楽しげに洗濯をし、毎日食物を洗う。排水路の表面から悪臭がするこの浅い井戸よりひどいものはない。汚い下層民 の家からは、土俗の食品であるキムチのすっぱい臭いがする。(p. 50)
朝鮮はこのような過渡期的外交の最も良い事例である。なぜなら朝鮮は、内部的に脆弱であるのみならず、列強間に確実な公式的保護国や友好国がないという点で、極東国家の中で最も弱い国だったからだ。(p. 65)
韓 国人の下人は、中国人や日本人のように有能でもなく、社会的身分も同じでなかった。守衛、駕籠かき、警備員は絶え間なく悶着の原因になった。女中を置いて いる日本とは異なり、朝鮮ではふつう下男しかおらず、あらゆる階層が慢性的な賭博依存症だった。日本人や中国人はときどき自分たちだけで集まって気分転換 をすることはあっても、面倒を起こすことはほとんどなかった。しかし韓国人の下人たちは彼らどうしで放っておくことができなかった。彼らは支配を受けなけ ればならなかった。(pp. 111-112)
科挙制度は最も低い水準まで転落した。公職に任命されれば、ある程度の貴族の序列が付与されるため、「涜職」と社会的な理由のために科挙に応試した。文科に合格するためには、家柄がよいか、おびただしい賄賂を使わねばならなかった。(p. 128)
朝 鮮の両班たちは深酒をしない。身分が低い人々は、北部ヨーロッパ人やアメリカ人ほどではないが、酒を多く飲む。彼らはそのように多く酒を飲めば、体を支え ていられなくなる。彼らはみなとんでもない愛煙家だが、米国人宣教師たちがそうした悪習を正そうと努力した。彼らはまたとてつもない大食漢であ る。(pp. 145-146)
人々は韓国人を、世界で最も臆病な人々だという。私が推測するところでは、彼らが国内外的に圧迫を受けて来たた め、権威の前で萎縮するという点はある面で首肯できる。そうかと思えば彼らは、これ以上耐えられなくなるまで何かが起これば、ロシアの農夫のように目に入 るものを片っ端から破壊する。(pp. 150-151)
指導者に対する朝鮮国民の厳格な監視と、国民に対する寛大で一貫した正直な統治が指導者たちによって行われれば、韓国人は立派な民族に育成できるものと、私は今でも確信している。中国や日本を旅行する際の危険な感じは、朝鮮にはない。(p. 197)
朝鮮の芸能人は東洋の他の国でよりも身分が低く、妓生が権力者の家や宮中に出入りを許されるとは言っても、日本の芸者ほどの待遇を受けていなかった。妓生たちは顔もきれいではなかった。私は朝鮮女性のどの階級ででも、美貌の女性を見たことがない。(p. 202)
韓 国人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本 の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。(p. 234)

 


 

アンガス・ハミルトン『朝鮮』
Angus Hamilton, Korea, New York, Charles Scribner’s Sons, 1904.
 アンガス・ハミルトン (Angus Hamilton)
こ の隠者の王国の住民たちは、泰然として何もしないことにきわめて慣れ切っている。そのため、朝鮮の日常には無限の魅力と多様性がある。住民たちは受動的に 快楽を得て、体質的な無能さゆえに、明るい日差しのなかで優雅な散歩に耽るか、家の陰にあぐらをかいて坐る以外することがないかのようである。彼らは不活 発そのもので、活発な動きほどその固有の特性に似つかわしくないものはない。 (p. 41)
外国の教育方法が導入され、近代的な学校ができるま で、韓国人の知力には有望な徴候が認められなかった。現在でさえ、文化的階級が持つ知識といえば中国の古典についての曖昧な知識に限られ、習得したといえ る人は稀である。上流階級の男女は中国の文献と言語を理解しているふりをしているが、中流階級には、純粋に朝鮮語の文法で書かれた国内新聞の漢字・ハング ルまじり文を読める人はほとんどいない。(p. 103)
女性の肌の露出、店主たちの騒音と暴行、街路の散らかり具合、そこには日本の繊細な文化を思わせるものはない。日本に特有の謙虚さ、清潔さ、礼儀正しさは、朝鮮の日本人居住区には著しく欠けている。(p. 130)
こ れらの漁村の貧困ときたならしさは、驚くほどである。人々は精神がなく、寝て伸びをして食べてを繰り返す怠惰でだらしない存在でいることに満足しているよ うに見える。金を出すと言っても、日中釣り舟を出させるのは不可能だった。もっとも彼らは、舟も網も綱も予約されているわけでないことは認めた。原住民の このような無関心な精神の結果として、日本人漁師たちが急速に沖合いの漁場を確保しつつある。この怠惰で瞑想的で汚い人々がすぐにも立ち上がらないと、自 分たちの海域における水産業は彼らの手からすり抜けて行ってしまうだろう。(p. 249)

 


 

F・A・マッケンジー『朝鮮の悲劇』
F・A・マッケンジー(渡部学訳注)『朝鮮の悲劇』東洋文庫222, 平凡社, 1972.
 F・A・マッケンジー (Frederick Arther McKenzie, 1869~1931) カナダ生まれのジャーナリスト

ごく初期のころ朝鮮に居住していたある外国人が、私に、つぎのように語ったことがある。「私が最初朝鮮に行ったとき、私はあたかも、現世からほん とうのアリスの不思議な国に来たような錯覚を覚えた。すべてがたいへん幻想的であり、この世のどこよりもあまりに異質的であり、不条理であり、よそよそし く、そして奇妙であったので、私はしばしば、自分自身がいま目覚めているのか、それとも夢をみているのか、と自問せざるをえなかった」と。(p. 27)

繁 盛して富裕になったような人は、たちまちにして守令の執心の犠牲となった。守令は、とくに秋の収穫の豊かであった農民のところへやってきて、金品の借用を 申し出る。もしも、その人がこれを拒否すれば、郡守はただちに彼を投獄し、その申し出を承認するまで、半ば絶食同様にさせたうえ、日に一、二回の笞刑を加 えるのであった。(p. 28)

貴族に対する収租地の特許は、民衆にとってのもう一つの重荷であった。貴族すなわち両班(ヤングバン)は、自分たちは勤労階級に依存して生活する権利がある、と考えていた。(p. 28)
上 流社会の婦人たちはきびしい隔離生活を営むが、その隠蔽の厳重さは彼女らの夫に対する尊敬の念の証左とみなされている。下層階級の婦人たちは、たいていは その家族を養うために一生懸命働く。彼女らは異様な衣服をまとうが、それは乳房はあけっぴろげにしておりながら、しかもその乳房の上の方の胸部はこれを丹 念に覆うているのである。(p. 31)

古い制度下の韓国の貨幣は、世界中の悪貨のうちでも最たるものであった。あるイギリス公使の公式報告の 中での有名な嘲笑、それは、韓国の貨幣は良貨・良い偽造貨・悪い偽造貨・あまりにも粗悪なので暗い所でしか通用しないような偽造貨、の四つに分類すること ができる、としているが、これは必ずしもつくり話ではない。(p. 109)

 


 

E・ワグナー『朝鮮の子どもたち』
 E・ワグナー (Ellasue Canter Wagner, 1881~1957) 米国の教育家・女性牧師

朝鮮の家屋に関する問題のうち最も特異なものは暖房に関する問題だが、その方法は経済的ではあるが、通風という点から見ればきわめて非衛生的で致命的である。(p. 27)
朝 鮮女性の生活は、決して楽ではない。幼い頃から彼女たちは、知的にも地位や能力でも自分よりずっと愛情を受けて来た兄たちより劣等だと教え込まれる。そし て彼女が楽な暮らしをして幸福になろうとすれば、早くに結婚して夫と姑に徹底して服従しなければならない。妻と母の役割は彼女たちの暮らしで最も重要な任 務で、嫁ぎ先の祖先を祀り仕える息子を産むことでのみまともな待遇を受けることができる。(p. 31)
無知と迷信が蔓延しているところでは、誰の助けも受けられない子どもたちの無防備な肩が常に押さえつけられている。家を取り巻いているきわめて非衛生的な諸条件、そして様々な衛生法と常識を守らないことによって、あらゆる種類の疾病と苦痛が生じる。(p. 45)

 


 

イザベラ・バード(林尚得訳)『朝鮮奥地紀行』平凡社, 1993年.

韓国人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。(1巻, 30-31頁)


政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。(1巻, 44頁)
私 は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興[中国浙江省北部の県]の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた!大 都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。その結果、二十五万人と見積も られている人びとが「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひと りが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬ るしたどぶと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。(1巻, 71-72頁)
それにも拘わらず、ソウルには美術の対象になるも のが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。劇場も無い。ソウルは他国の都市が持っている 魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウ ルは寺院無しの状態で放置されている。一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている!(1巻, 106-107頁)
全ての衙門の周りにしっかり縋り付いている学者階級の者どもの、躾の悪い無礼な目にずいぶん沢山遭った。そのある者は、船員が止めるよう丁重に求めた時、その船員をどやしつけながら私の部屋のカーテンを持ち上げ、頭と肩を入れる程であった。(1巻, 159頁)
そ の肩に税の重荷が掛かっている人びとつまり特権を持たない厖大な大衆が両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。両班は代金を支払わないで、 人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立て[収奪]を行なっている。ある商人か農夫がある程度の金額を蓄 えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。(1巻, 172頁)
長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業はある程度無駄が多く、だらしない。(1巻, 259-260頁)


徳 川を出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の 真ん中でじっとしていた時、韓国人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と私は感じた。そして若しロシ アの手中に握られ、その統治の下で、軽い税金同様勤勉の利得が保証されない限り、千二百万人若しくは千四百万人の韓国人に希望は一つも無い、と感じてい た。(2巻, 186頁)
もしある人が小金を溜めた、と伝えられると、役人がその貸与かたを要求する。仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々 にして元金または利息に二度と会えなくなる。もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。そして要 求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。(2巻, 196頁)


狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、 寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女 性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。(2巻, 269頁)
要約して、以下のような意見を思い切って述べる事にする。多くの人口を抱えている朝鮮の状況は、日本かロシアの孰れかの援助を得て次第に改善されるよう運命付けられている。(2巻, 279頁)
朝 鮮の大きくて普遍的な災難は大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか「たかり」に耽る習慣である。それを恥としないし、非難 する世論も無い。少ないけれども一定の収入がある人は多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。この事が、官職への殺 到とその官職を売れ口のある必需品にしている訳を一部説明している。(2巻, 351頁)
一八九七年の明確に逆行する動きにも拘わらず私は、この国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。


 一、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
 二、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。(2巻, 359頁)