転院の初日から病院に泊まり込む。

初日は痛みもあまりなく、ただ少し気持ちが悪いと、昼食はパス、夕食は1/3程度。

緩和ケアの病院では、すぐにレントゲンを撮ってくれた。
主治医が見せてくれた写真にはたくさんたまっている便の写真。
これだけつまってるなら苦しいのも当然。
出ないのに下剤だけ増やして出してくれないんだから、こうなるのも当然。
完全にがんセンターのミスじゃん。
ホントキチガイしかいない病院じゃん!
と、初日の夜から地元の友人が訪ねてくれて、なんとかなりそうだね~と話していた。
が、そんな簡単なことではなかった。

夜から吐き止めの投与が始まったけど気持ち悪さが落ち着かないらしく。
ほとんど、寝られなかったよう。
朝から、ひどい吐き気のようで真っ白い顔をしていた。

緩和ケアの病院を探しながら、新規の放射線治療を受けている中、
病棟が混んできたので、強制的に個室に移ってもらいます!
とのこと。
1日37800円
まぁ、でも、すぐに緩和ケアに移るし、しょうがないかと。
私も泊まれることになるから。
と、ポジティブな私は安易に考えてしまいました。
これが、病気を悪化させる原因になるとは思いもよらず。。。

個室になって変わったこと。
とにかく放置が多くなった。
寝たきりなので、土日はお風呂に入れてもらっていたのが、土日のどちらかだけ。
薬が足りなかったり、逆に1錠多く配られたりといいかげんな管理になる。
これは、本人が飲んでる薬をちゃんと覚えていたので危険なことにはならずに指摘した。
そして、極めつけが、自力で排便ができないため何日かごとに浣腸してもらっていたのが。
3日に1回になり、最後の週は下剤だけ増やされ浣腸をされずに転院。
結果どうなったか、医療者なら予測できたのではないだろうか。
時限爆弾を設置されたようなもの。
なぜ、ここまでのことをされて転院しないか。

お義父さん、お義母さんがM医師を崇めており、教祖状態。

今、現在、生死の境にいても、
M先生は素晴らしい先生、がんセンターは素晴らしい病院と言っています。

なので、他への転院は無理でした。

その後は緩和ケアの病院を探すことになります。
が、本人の意思を無視してご両親の意見ばかりを聞くものだから、せっかくソーシャルワーカーさんが探してきても却下ばかり。
病院に入るのは本人なのに。

3件見学して、ようやく行きたい病院が見つかったときに、今度は首の痛みが。

今度ばかりは多少大袈裟にでも毎日痛いって言え!と指示したものの。
やはり、
筋肉痛
寝違え
との診断。
本気でアホなのか?

こちらから調べて!と訴えてようやく。
今度は頚椎への転移が。
見つかったときも、
今回はすぐに見つけましたよ~と得意げ。
いや、違うよね。
こちらからお願いしましたよね?
どこまで腐ってるんだ、この女医。。。
緊急入院後、原発の後腹膜肉腫への放射線とともに、転移が見つかった胸骨への放射線が始まる。
ステロイド大量投与するも判断が遅すぎて腰から下は全く動かなくなる。
当然、排尿困難、排便困難。
おしっこはカテーテルで、便通は浣腸で出す状態。
本人の生きる!と言う気持ちも消えた。
毎日病院へ行くと泣いてばかり。

生きている意味がない。
人の手を借りてまで生きていたくない。

そればかり。
そんな中でも、車椅子で生活していて、右手だけ動く人のブログを見たらしく。

俺はなにも努力していない。
だから、車椅子で生活出来るように頑張るからこれからも、支えてほしいと。
そこからはお臍から下の感覚がないにも関わらず必死にリハビリをしてました。

が、そんなときに再度の余命宣告が。

8/2
血小板の減少もあり、脊髄への転移も考えられるため、今後がんセンターでは治療をしません、とのこと。
緩和ケアの病院を探してください。
と。。。
忘れもしない7/7
午前中はのんびりしながら、突然マックが食べたいと言っていたので、1人なら5分もかからないマックに杖をつきながら15分くらいかけて散歩ついでに行ってきた。
カルピスマックシェイクがあった。
甘いものが好きな彼は美味しい!って。
それが、彼が自分の足で歩いて行った最後の場所になる。
午後から急に左足に力が入らなくなる。
杖をつきながら自力で行っていたトイレも一緒についていくことになる。
翌日の日曜日には自力で起き上がることも難しく。
そして、7/9に緊急入院。
すぐに検査をするが、きっと放射線治療の副作用とのことで、大量のステロイド投与。
しかし、胸骨への転移が見つかる。
そして、全く歩けなくなり起き上がることも不可能となる。

私はすぐにセカンド・オピニオンにお世話になっていた有明の病院へ向かった。
急に転移して急に歩けなくなることはあり得ない。
見逃されたんだろうと。
実際、そうなんだろう。
国立がんセンターの泌尿器科のM医師はこちらの痛み、変化には毎回
気のせい!
様子を見ましょう!
と言う。
転移じゃないの?と聞くとふてくされてる。
その繰り返し。
私も油断していた。
余命2年を信じていたから。
抗がん剤、放射線が終わったら代替療法をするつもりだったから。
2018年4月に旦那さんが国立がんセンター中央病院に受診した。
後腹膜肉腫の診断。
仙骨、副腎、肺にも転移しているため手術不可能。
治療しなければ余命2年とのこと。
最初の受診時は、私は仕事で行けなかった。
きっと、一緒に行っていたならすぐにセカンド・オピニオンをして国立がんセンターにはお世話になっていなかったと思う。
なぜかと言えば、主治医が女医だから。
同じ女という性別ではあるけど、女医だけは全く信用できない。
そして、その予感はぴったりと当たることになる。

彼のお義父さん、お義母さんも国立だから安心とそのまま抗がん剤のAI療法を行う。
今、思い出してもひどい副作用。
浅はかな私は副作用が強いってことは抗がん剤が効いてると思っていた。
が、全く腫瘍には効かず体力だけを落とし、貧血がひどくなる。

AIが効かないため2クールで終了し、エイブリン投与。
こちらは、原発には効かないものの、肺の腫瘍は若干小さくなる。
2クール行い、痛みがなくならないため放射線も追加することになる。
が、この前から、元々痛みがあった右足と共に左足のしびれを感じる。
主治医にも言っていたが、病気は右だから、気のせいと。。。
その後も痛みが出たりしびれたりとの繰り返し。
でも、その度に気のせいだと。