そしてこんなに同胞たちが差別と貧困の中でも、学校建設に奮闘している時 、彼らが表現する 『生命水 』 とも言える教育支援金が北朝鮮から送られて来るという驚くべき消息が伝わる 。
生命水という言葉が雄弁するように、砂漠に放置された同胞たちは、ありがたさに涙を流したし、北朝鮮と総連が自分たちの心強い祖国と組織と確信したはずだ 。
北朝鮮の送金という象徴的事件とは対照的に、韓国はこれを放置して民を捨てた、いわゆる 「棄民」の母国のようになってしまった。
しかし、在日同胞の大部分がいつかは帰らなければならない故郷を、南側に置いていた 。
遠くない将来、祖国は統一されなければならない、いや、統一になるでしょう! という彼らの念願がどれほど切実なのかは想像にかたくない。
一方、日本政府の朝鮮学校弾圧は1965 年 『外国人学校法案 』につながった 。
1965 年は、韓日協定が調印された年でもある 。
『朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的にする朝鮮人学校は、我が国の社会において各種学校の地位を付与する積極的意義を持っていると認めることはできない 』
文部省次官が出したこの通逹に引き続き政府は何回にかけて、外国人学校の教育内容を統制するという主旨の 『外国人学校法案 』を提出した。
同胞たちは1966年頃から1971年頃まで、法案廃棄に向けてねばり強く闘争した 。
日本 政府は、修正をしても法制化を実現させようと画策したが、同胞たちの強い反発と闘いにぶつかってあきらめた 。
事実 、朝鮮学校は日本では法的には 『学校 』ではない 。
運転学校や美容学校のような 『各種学校 』に取り扱いされる 。
したがって、日本の大学に入学することができる資格が認められないで 社会に出れば就職など多くの困難に直面する 。
これも在日朝鮮人たちの、ねばり強い運動で2005年頃から大学の入学資格可否は、各大学の裁量に任せられるようになったが 、これは大学側が 施す善意によることであって正当な権利として保証されたことだと言えない 。
日本で学校と言うのは日本の教育法第 1 条が定めるいわゆる 『1条校』に準じて運営される学校を言う 。
差別を避けるためには、朝鮮学校が差別受けないで日本政府から補助金も受けて安定的な学校運営のためには 『1 条校』にならなければならないと言ったりする人もいる。
ところが、一条校になれば日本政府が指定する教科書を使わなければならないし、教員たちは日本の国家試験に合格した人が雇用される 。
そうなると、朝鮮学校の子供達は、独島を竹島と学んで日本の領土と学んで、日本の起こした戦争は侵略戦争ではなくて、慰安婦は軍隊なら必ず必要なことだと学ぶようになるのではないか 。
いずれ祝日には、日の丸をかけなければならないかも知れない 。
確かに、朝鮮学校の数は減っているし学生数も減少している 。
日本の政府が差別するのだから、日常の中でぶつかる差別が多くなるのは火を見るよりも明らかだ 。
それだけではない。
時折、裂ける南北間の葛藤 、韓日あるいは北日間の葛藤は、右翼の嫌がらせが、そっくりそのまま朝鮮学校子供達に向けられる 。
朝鮮人を固執しながら、日本社会に正当な権利を要求して、統一を念願するより、日本人たちの中に見えない存在で消えて暮すことを選択することもできるけれども、それでも朝鮮学校は耐えている。
朝鮮学校に通うということは、私たちが想像することができない大きな 闘いかも知れない 。