1時間後、車内に戻ってきたヒロシは、札束の山を前に青ざめていた。

 大金を手に入れた達成感よりも、罪に手を染めた後悔の方が強いのだろう。

「――腹くくれよ。もうお前も踏み出したんだ」

 いつものようにスーツを脱ぎながら、俺は後部座席のヒロシを見やる。

「……オレ、札束って初めて見ました……」

 放心したように漏らした呟きに、ユウスケが爆笑する。

「マジかー! これから飽きるほど見るぜ!?」

 シンジも助手席でクックッと肩を揺らしている。

「慣れるしかない。慣れれば、どうってことなくなるさ」

 俺は……自分への言い訳のように、繰り返しヒロシに言い聞かせた。

「はい……」

 消え入りそうな弱い声。
 いずれ感情に心乱すこともなくなるだろう。
 そうならなければ……こんな日常は、続けられない。

「シンジ、この後、指示はきてるのか?」

「いや。今日は、これで終わりみたい」

「――あぃ、了解~」

 ユウスケが、いつものマンションに向かってアクセルを踏んだ。

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「――今日の分だ」

 持ち帰った300万円から5万円ずつ、リーダーは俺たちに渡した。

 ユウスケとシンジは受け取ると、さっさと部屋を出た。

「……ナオト、」

 日給を差し出しながら、リーダーが俺の目を覗き込む。

「分かってます」

 頷き、金を内ポケットにねじ込む。

 俺の背後で小さくなっているヒロシを置いて、リビングを出た。

 玄関で壁に凭れて、一服する。

 5分ほどして、青白い顔色のまま、ヒロシが現れた。

「この後、少し付き合えよ」

「……え」

 戸惑いを満面に張り付けた新人を、俺は半ば強引に従わせ、駅前の商店街裏にある焼鳥屋の暖簾をくぐった。

「中生2つ! ――飲めるだろ?」

 カウンター奥の席に着くと、連れの返事を待たずに注文する。

「ナオトさん、あの……」

「敬語はいらねぇよ。会社じゃないからな」

 ジョッキを2つ受け取り、1つをナオトに押し付ける。

「――ご苦労さん」

 乾杯をすると、ヒロシはやけくそのように一気に飲み干した。

 それから、焼鳥をかじり、何杯かジョッキを空けた頃、上気したヒロシは自ら口を開いた。

「……オレ、本当はずっと後悔してるんです」

「……」

「ばあちゃんが倒れて、急に手術代が必要で……知り合いに『いいバイトがある』って紹介されて」

 ヒロシは自分の手元に視線を落としたまま、続ける。

「でも、苦しくて……昼間のお婆さんの目が……消えないんです」

 カウンターの木目の上に、ポタポタ滴が落ちる。
 予想通りというか……ヒロシは泣き上戸だった。

「お前の事情は知らねぇよ。俺は聖人賢者じゃないからな、お前の懐も良心も救うなんてできねぇし」

 ハツ串を噛みながら、俺は淡々と諭す。

「俺たちは、理由はどうあれ、自分で決めて仕事に就いたんだ。妙な同情や偽善で、仲間を危険にさらすことは許されない。――そういうことだ」

 新人に気を配るのは、組織のため、ひいてはチーム――俺自身の保身のためだ。

「どうすれば……そんな風に割り切れるんですか…?」

 ヒロシの涙目が、ジッと見つめている。
 言葉を探しながら、ジョッキの中身をゆっくり喉に流し込む。

「――仕事、かな。俺は、目的を果たすためのミッションだと思ってる。……シンジやユウスケは、ゲーム感覚みたいだけどな」

「ゲーム……」

「そういう割り切り方もあるだろうさ。善悪とか相手の気持ちとか……そういう考えは、家を出る時に置いてこい」

 ヒロシは、またカウンターの上に視線を落としたが、もう天板を濡らすことはなかった。
 しばらく考え込んでいる間、俺は黙って砂肝を片付けた。

「――分かりました。オレも……腹くくります」

 自分の中の"何か"と折り合いをつけたのだろう、苦し気なシワを眉間に刻みながらも、眼差しに暗い光が灯っている。

「ああ。頼むぜ、ヒロシ」

 言いながら、彼の背中をポンポンと叩いた。

 もう一杯、最後に頼んだ中ジョッキで乾杯し、俺たちは夜の街で別れた。

-*-*-*-

 それからのヒロシは、顔つきが変わった。

 俺のやり方をみるみる吸収し、三ヶ月も経たない内に、一端の『受け子』になっていた。

-*-*-*-

 ケイタが、危険ドラッグの過剰摂取で死んだのは――その頃だ。
 冬も出口が見えてこようかという、2月の終わりだった。

「――あいつ、よくラリってたけど……死ぬなんてなぁ……」

 ヒロシがコインロッカーに金を取りに向かっている。
 その後ろ姿を見送りながら、俺は運転席に話しかけた。

 ユウスケは、俺がこのチームに入る前からケイタと付き合いがあった。
 そのせいだろう、いつになく神妙な様子だ。

「現場のビルって、この近くだよね」

 シンジが、カーナビの地図を見ながら呟いた。

 ケイタは、駅近くの雑居ビルの間に倒れているのを発見された。

 非常階段に、脱ぎ捨てた衣服が散乱していたそうだ。
 2月の寒空の下、全裸で5階の踊り場から飛び降りたのだ。

 明らかに異常な行動。
 解剖の結果、ケイタの血液中から新種のドラッグの成分が検出された。

「この仕事の稼ぎを全部つぎ込んで……それでも莫大な借金背負っていたらしいぜ」

 あいつは、借金を苦にするようなタイプではない。
 そもそも、莫大な借金の原因は葉っぱやドラッグ代だろう。

「このチームを外れた後って、何か知ってるか? ユウスケ?」

 駅を凝視していたユウスケだが、一瞬、ルームミラー越しに俺を見た。

「――ラボって聞いたことあるか?」

「ラボ?」

「葉っぱや化学物質を混ぜて、新しいドラッグを開発しているチームだ」

「新しいドラッグ……」

 俺とシンジは顔を見合わせた。

「世間は『危険ドラッグ』ってまとめて呼んでるけど、色んな種類があってさ……摘発受けない新しいドラッグを製造・開発しているチームがあるんだって」

 俺たちの上層部は反社会的勢力だから、ケイタのように、ドラッグのルートから詐欺チームにたどり着くヤツがいても不思議ではない。
 だけど――。

「そのドラッグって、どうやって効き目を試しているんだ……?」

 シンジがサッと青ざめる。

「まさか……だよね……?」

 ユウスケは答えなかった。

-*-*-*-

「あ――ヒロシだ。遅えな」

 重い沈黙が流れている内に、いつの間にか、小雨が降っていた。
 滲むフロントガラスの向こうで、ヒロシが、珍しく焦ったように走ってくる。

「……なんか様子がおかしくないか?」

 カバンを受け取りに行ったはずなのに、ヒロシは手ぶらだ。

 俺たちのワゴン車に向かって、一目散に駆けてくる。

「――危ないっ!!」

 誰ともなく、叫んだ。

 突然、真横から現れたシルバーのRV車が、加速したまま……ヒロシのひょろりと細い身体を撥ね飛ばした。

 スローモーションのようにも、一瞬のようにも見えたが、宙を舞ったヒロシの身体は、アスファルトの上に崩れた切り動かなかった。

 冬の雨が車窓を叩きつける。

 すぐに人だかりがヒロシを囲んだ。

「――行くぞ!!」

 一言、呻いて、ユウスケはアクセルを踏んだ。

 待て!!――と言いたかったが、ユウスケの判断は正しい。

 何かトラブルが起こった時は、例えチーム内の仲間であろうと、見捨てて離れろ。

 俺たちは、そう教え込まれているのだ。


【続】