1時間後、車内に戻ってきたヒロシは、札束の山を前に青ざめていた。
大金を手に入れた達成感よりも、罪に手を染めた後悔の方が強いのだろう。
「――腹くくれよ。もうお前も踏み出したんだ」
いつものようにスーツを脱ぎながら、俺は後部座席のヒロシを見やる。
「……オレ、札束って初めて見ました……」
放心したように漏らした呟きに、ユウスケが爆笑する。
「マジかー! これから飽きるほど見るぜ!?」
シンジも助手席でクックッと肩を揺らしている。
「慣れるしかない。慣れれば、どうってことなくなるさ」
俺は……自分への言い訳のように、繰り返しヒロシに言い聞かせた。
「はい……」
消え入りそうな弱い声。
いずれ感情に心乱すこともなくなるだろう。
そうならなければ……こんな日常は、続けられない。
「シンジ、この後、指示はきてるのか?」
「いや。今日は、これで終わりみたい」
「――あぃ、了解~」
ユウスケが、いつものマンションに向かってアクセルを踏んだ。
-*-*-*-
「――今日の分だ」
持ち帰った300万円から5万円ずつ、リーダーは俺たちに渡した。
ユウスケとシンジは受け取ると、さっさと部屋を出た。
「……ナオト、」
日給を差し出しながら、リーダーが俺の目を覗き込む。
「分かってます」
頷き、金を内ポケットにねじ込む。
俺の背後で小さくなっているヒロシを置いて、リビングを出た。
玄関で壁に凭れて、一服する。
5分ほどして、青白い顔色のまま、ヒロシが現れた。
「この後、少し付き合えよ」
「……え」
戸惑いを満面に張り付けた新人を、俺は半ば強引に従わせ、駅前の商店街裏にある焼鳥屋の暖簾をくぐった。
「中生2つ! ――飲めるだろ?」
カウンター奥の席に着くと、連れの返事を待たずに注文する。
「ナオトさん、あの……」
「敬語はいらねぇよ。会社じゃないからな」
ジョッキを2つ受け取り、1つをナオトに押し付ける。
「――ご苦労さん」
乾杯をすると、ヒロシはやけくそのように一気に飲み干した。
それから、焼鳥をかじり、何杯かジョッキを空けた頃、上気したヒロシは自ら口を開いた。
「……オレ、本当はずっと後悔してるんです」
「……」
「ばあちゃんが倒れて、急に手術代が必要で……知り合いに『いいバイトがある』って紹介されて」
ヒロシは自分の手元に視線を落としたまま、続ける。
「でも、苦しくて……昼間のお婆さんの目が……消えないんです」
カウンターの木目の上に、ポタポタ滴が落ちる。
予想通りというか……ヒロシは泣き上戸だった。
「お前の事情は知らねぇよ。俺は聖人賢者じゃないからな、お前の懐も良心も救うなんてできねぇし」
ハツ串を噛みながら、俺は淡々と諭す。
「俺たちは、理由はどうあれ、自分で決めて仕事に就いたんだ。妙な同情や偽善で、仲間を危険にさらすことは許されない。――そういうことだ」
新人に気を配るのは、組織のため、ひいてはチーム――俺自身の保身のためだ。
「どうすれば……そんな風に割り切れるんですか…?」
ヒロシの涙目が、ジッと見つめている。
言葉を探しながら、ジョッキの中身をゆっくり喉に流し込む。
「――仕事、かな。俺は、目的を果たすためのミッションだと思ってる。……シンジやユウスケは、ゲーム感覚みたいだけどな」
「ゲーム……」
「そういう割り切り方もあるだろうさ。善悪とか相手の気持ちとか……そういう考えは、家を出る時に置いてこい」
ヒロシは、またカウンターの上に視線を落としたが、もう天板を濡らすことはなかった。
しばらく考え込んでいる間、俺は黙って砂肝を片付けた。
「――分かりました。オレも……腹くくります」
自分の中の"何か"と折り合いをつけたのだろう、苦し気なシワを眉間に刻みながらも、眼差しに暗い光が灯っている。
「ああ。頼むぜ、ヒロシ」
言いながら、彼の背中をポンポンと叩いた。
もう一杯、最後に頼んだ中ジョッキで乾杯し、俺たちは夜の街で別れた。
-*-*-*-
それからのヒロシは、顔つきが変わった。
俺のやり方をみるみる吸収し、三ヶ月も経たない内に、一端の『受け子』になっていた。
-*-*-*-
ケイタが、危険ドラッグの過剰摂取で死んだのは――その頃だ。
冬も出口が見えてこようかという、2月の終わりだった。
「――あいつ、よくラリってたけど……死ぬなんてなぁ……」
ヒロシがコインロッカーに金を取りに向かっている。
その後ろ姿を見送りながら、俺は運転席に話しかけた。
ユウスケは、俺がこのチームに入る前からケイタと付き合いがあった。
そのせいだろう、いつになく神妙な様子だ。
「現場のビルって、この近くだよね」
シンジが、カーナビの地図を見ながら呟いた。
ケイタは、駅近くの雑居ビルの間に倒れているのを発見された。
非常階段に、脱ぎ捨てた衣服が散乱していたそうだ。
2月の寒空の下、全裸で5階の踊り場から飛び降りたのだ。
明らかに異常な行動。
解剖の結果、ケイタの血液中から新種のドラッグの成分が検出された。
「この仕事の稼ぎを全部つぎ込んで……それでも莫大な借金背負っていたらしいぜ」
あいつは、借金を苦にするようなタイプではない。
そもそも、莫大な借金の原因は葉っぱやドラッグ代だろう。
「このチームを外れた後って、何か知ってるか? ユウスケ?」
駅を凝視していたユウスケだが、一瞬、ルームミラー越しに俺を見た。
「――ラボって聞いたことあるか?」
「ラボ?」
「葉っぱや化学物質を混ぜて、新しいドラッグを開発しているチームだ」
「新しいドラッグ……」
俺とシンジは顔を見合わせた。
「世間は『危険ドラッグ』ってまとめて呼んでるけど、色んな種類があってさ……摘発受けない新しいドラッグを製造・開発しているチームがあるんだって」
俺たちの上層部は反社会的勢力だから、ケイタのように、ドラッグのルートから詐欺チームにたどり着くヤツがいても不思議ではない。
だけど――。
「そのドラッグって、どうやって効き目を試しているんだ……?」
シンジがサッと青ざめる。
「まさか……だよね……?」
ユウスケは答えなかった。
-*-*-*-
「あ――ヒロシだ。遅えな」
重い沈黙が流れている内に、いつの間にか、小雨が降っていた。
滲むフロントガラスの向こうで、ヒロシが、珍しく焦ったように走ってくる。
「……なんか様子がおかしくないか?」
カバンを受け取りに行ったはずなのに、ヒロシは手ぶらだ。
俺たちのワゴン車に向かって、一目散に駆けてくる。
「――危ないっ!!」
誰ともなく、叫んだ。
突然、真横から現れたシルバーのRV車が、加速したまま……ヒロシのひょろりと細い身体を撥ね飛ばした。
スローモーションのようにも、一瞬のようにも見えたが、宙を舞ったヒロシの身体は、アスファルトの上に崩れた切り動かなかった。
冬の雨が車窓を叩きつける。
すぐに人だかりがヒロシを囲んだ。
「――行くぞ!!」
一言、呻いて、ユウスケはアクセルを踏んだ。
待て!!――と言いたかったが、ユウスケの判断は正しい。
何かトラブルが起こった時は、例えチーム内の仲間であろうと、見捨てて離れろ。
俺たちは、そう教え込まれているのだ。
【続】
大金を手に入れた達成感よりも、罪に手を染めた後悔の方が強いのだろう。
「――腹くくれよ。もうお前も踏み出したんだ」
いつものようにスーツを脱ぎながら、俺は後部座席のヒロシを見やる。
「……オレ、札束って初めて見ました……」
放心したように漏らした呟きに、ユウスケが爆笑する。
「マジかー! これから飽きるほど見るぜ!?」
シンジも助手席でクックッと肩を揺らしている。
「慣れるしかない。慣れれば、どうってことなくなるさ」
俺は……自分への言い訳のように、繰り返しヒロシに言い聞かせた。
「はい……」
消え入りそうな弱い声。
いずれ感情に心乱すこともなくなるだろう。
そうならなければ……こんな日常は、続けられない。
「シンジ、この後、指示はきてるのか?」
「いや。今日は、これで終わりみたい」
「――あぃ、了解~」
ユウスケが、いつものマンションに向かってアクセルを踏んだ。
-*-*-*-
「――今日の分だ」
持ち帰った300万円から5万円ずつ、リーダーは俺たちに渡した。
ユウスケとシンジは受け取ると、さっさと部屋を出た。
「……ナオト、」
日給を差し出しながら、リーダーが俺の目を覗き込む。
「分かってます」
頷き、金を内ポケットにねじ込む。
俺の背後で小さくなっているヒロシを置いて、リビングを出た。
玄関で壁に凭れて、一服する。
5分ほどして、青白い顔色のまま、ヒロシが現れた。
「この後、少し付き合えよ」
「……え」
戸惑いを満面に張り付けた新人を、俺は半ば強引に従わせ、駅前の商店街裏にある焼鳥屋の暖簾をくぐった。
「中生2つ! ――飲めるだろ?」
カウンター奥の席に着くと、連れの返事を待たずに注文する。
「ナオトさん、あの……」
「敬語はいらねぇよ。会社じゃないからな」
ジョッキを2つ受け取り、1つをナオトに押し付ける。
「――ご苦労さん」
乾杯をすると、ヒロシはやけくそのように一気に飲み干した。
それから、焼鳥をかじり、何杯かジョッキを空けた頃、上気したヒロシは自ら口を開いた。
「……オレ、本当はずっと後悔してるんです」
「……」
「ばあちゃんが倒れて、急に手術代が必要で……知り合いに『いいバイトがある』って紹介されて」
ヒロシは自分の手元に視線を落としたまま、続ける。
「でも、苦しくて……昼間のお婆さんの目が……消えないんです」
カウンターの木目の上に、ポタポタ滴が落ちる。
予想通りというか……ヒロシは泣き上戸だった。
「お前の事情は知らねぇよ。俺は聖人賢者じゃないからな、お前の懐も良心も救うなんてできねぇし」
ハツ串を噛みながら、俺は淡々と諭す。
「俺たちは、理由はどうあれ、自分で決めて仕事に就いたんだ。妙な同情や偽善で、仲間を危険にさらすことは許されない。――そういうことだ」
新人に気を配るのは、組織のため、ひいてはチーム――俺自身の保身のためだ。
「どうすれば……そんな風に割り切れるんですか…?」
ヒロシの涙目が、ジッと見つめている。
言葉を探しながら、ジョッキの中身をゆっくり喉に流し込む。
「――仕事、かな。俺は、目的を果たすためのミッションだと思ってる。……シンジやユウスケは、ゲーム感覚みたいだけどな」
「ゲーム……」
「そういう割り切り方もあるだろうさ。善悪とか相手の気持ちとか……そういう考えは、家を出る時に置いてこい」
ヒロシは、またカウンターの上に視線を落としたが、もう天板を濡らすことはなかった。
しばらく考え込んでいる間、俺は黙って砂肝を片付けた。
「――分かりました。オレも……腹くくります」
自分の中の"何か"と折り合いをつけたのだろう、苦し気なシワを眉間に刻みながらも、眼差しに暗い光が灯っている。
「ああ。頼むぜ、ヒロシ」
言いながら、彼の背中をポンポンと叩いた。
もう一杯、最後に頼んだ中ジョッキで乾杯し、俺たちは夜の街で別れた。
-*-*-*-
それからのヒロシは、顔つきが変わった。
俺のやり方をみるみる吸収し、三ヶ月も経たない内に、一端の『受け子』になっていた。
-*-*-*-
ケイタが、危険ドラッグの過剰摂取で死んだのは――その頃だ。
冬も出口が見えてこようかという、2月の終わりだった。
「――あいつ、よくラリってたけど……死ぬなんてなぁ……」
ヒロシがコインロッカーに金を取りに向かっている。
その後ろ姿を見送りながら、俺は運転席に話しかけた。
ユウスケは、俺がこのチームに入る前からケイタと付き合いがあった。
そのせいだろう、いつになく神妙な様子だ。
「現場のビルって、この近くだよね」
シンジが、カーナビの地図を見ながら呟いた。
ケイタは、駅近くの雑居ビルの間に倒れているのを発見された。
非常階段に、脱ぎ捨てた衣服が散乱していたそうだ。
2月の寒空の下、全裸で5階の踊り場から飛び降りたのだ。
明らかに異常な行動。
解剖の結果、ケイタの血液中から新種のドラッグの成分が検出された。
「この仕事の稼ぎを全部つぎ込んで……それでも莫大な借金背負っていたらしいぜ」
あいつは、借金を苦にするようなタイプではない。
そもそも、莫大な借金の原因は葉っぱやドラッグ代だろう。
「このチームを外れた後って、何か知ってるか? ユウスケ?」
駅を凝視していたユウスケだが、一瞬、ルームミラー越しに俺を見た。
「――ラボって聞いたことあるか?」
「ラボ?」
「葉っぱや化学物質を混ぜて、新しいドラッグを開発しているチームだ」
「新しいドラッグ……」
俺とシンジは顔を見合わせた。
「世間は『危険ドラッグ』ってまとめて呼んでるけど、色んな種類があってさ……摘発受けない新しいドラッグを製造・開発しているチームがあるんだって」
俺たちの上層部は反社会的勢力だから、ケイタのように、ドラッグのルートから詐欺チームにたどり着くヤツがいても不思議ではない。
だけど――。
「そのドラッグって、どうやって効き目を試しているんだ……?」
シンジがサッと青ざめる。
「まさか……だよね……?」
ユウスケは答えなかった。
-*-*-*-
「あ――ヒロシだ。遅えな」
重い沈黙が流れている内に、いつの間にか、小雨が降っていた。
滲むフロントガラスの向こうで、ヒロシが、珍しく焦ったように走ってくる。
「……なんか様子がおかしくないか?」
カバンを受け取りに行ったはずなのに、ヒロシは手ぶらだ。
俺たちのワゴン車に向かって、一目散に駆けてくる。
「――危ないっ!!」
誰ともなく、叫んだ。
突然、真横から現れたシルバーのRV車が、加速したまま……ヒロシのひょろりと細い身体を撥ね飛ばした。
スローモーションのようにも、一瞬のようにも見えたが、宙を舞ったヒロシの身体は、アスファルトの上に崩れた切り動かなかった。
冬の雨が車窓を叩きつける。
すぐに人だかりがヒロシを囲んだ。
「――行くぞ!!」
一言、呻いて、ユウスケはアクセルを踏んだ。
待て!!――と言いたかったが、ユウスケの判断は正しい。
何かトラブルが起こった時は、例えチーム内の仲間であろうと、見捨てて離れろ。
俺たちは、そう教え込まれているのだ。
【続】