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注意画像は本文と関係ありません。m(__)m
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 久しぶりに実家に帰ると、私の雛人形は小学生の妹のものになっていた。

 雛祭りの料理を手伝おうとしたのだが、母の気遣いで台所から追い出され――私は和室の襖を開けた。

 私と妹は、年の差姉妹で、私が中学生の時に生まれた妹に対しては、女姉妹特有のライバル心はなかった。

 私は高校受験を翌年に控えていたが、母の出産が楽しみだったし、家族に加わったちっちゃなサルみたいな妹も、可愛くて仕方がなかった。

「……随分、古ぼけたわねぇ」

 懐かしく、お雛様を手に取る。

 憧れていた美しい女雛は、少し老けた気がする――なんて、ちょっと怖い想像だ。

 多分、鮮やかだった当時の色彩が、年月の経過に伴って、くすんだだけなのだろうけど……。

 苦笑いしながら、私は人形の並びを整える。

 私が小学生の頃、マンション住まいの家庭が多かったため、段飾りの雛人形を持っている女の子は少なかった。

 初孫のために祖父母が奮発してくれた五段飾りは、当時の私には自慢だった。

 一段目。
 向かって左にお内裏様、右隣にお雛様。

 二段目は女官たち。
 三人官女は、中央にお歯黒の既婚女官を、左右に若い女官を置く。

 三段目は、少年楽団。
 向かって左から、太鼓、大鼓、小鼓、笛、謡。

 四段目――。

「――あれっ……?」

 ここに来て、手がはたと止まる。

 四段目は、お殿様の警護役。
 年寄りの方が位の高い左大臣で、若者の方が補佐役の右大臣だ。
 それは分かっているのだが……右左の位置に迷う。

「お内裏様・お雛様から見ての左右だったような……違ったっけ?」

 突然、記憶がうろ覚えだ。そういえば、小学生の頃は、毎年おばあちゃんが一緒に並べてくれたっけ。
 その祖母は、私の結婚式を見届けて、3年前に旅立ってしまった。

 ――もっとちゃんと聞いておくんだったな……。

 目の奥がツン……として、鼻をすする。

 お雛様は、女の子の宝物。
 でも、本当の宝物は、お雛様を巡る祖母や母といった女家族との思い出なんだろう。

「――お姉ちゃん、チラシ寿司出来たわよー!」

 居間から母の声が呼ぶ。

「……はぁい、今行くー!」

 ひとまず応えて、手に持った左右大臣を見る。

「ごめんね、後で直すから」

 お母さんに聞いて直せばいいや。

 軽く考えて、左大臣は向かって左、右大臣は右に置いた。

 五段目は、仕丁。
 泣・怒・笑の感情豊かな下働きの三人衆だ。
 お出掛け用の衣装をまとい、台傘、沓台、立傘を持っている。

 実は、ここも並びは覚えていない。

「ごめんねー、後で直すから……」

 言い訳をして、適当に置く。

 みんなが待っている。もう一度呼ばれる前に、早く食卓に戻らなきゃ。

 ――パタン。

 並べかけの雛壇を和室に残して、私は襖を閉めた。

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 ――パタン。

 ――キン……ッ!

 静かな暗闇の中、鋭い刀音が響く。

『……貴様、隋臣の身でなんとする……!』

『ひぃぃ……殿ぉ……!』

『――謀反じゃ! 謀反じゃ!』

『あな恐ろしや……殿が……!』

 ――キン……!

『……右大臣、覚悟!――成敗!』

『――ぐうっ……おのれ、左大臣……!』

 ざわざわ……ざわざわ……――

-*-*-*-

「お雛様にもお供えしなくちゃね……」

 雛ケーキにお白酒、チラシ寿司もたっぷり食べてから、お雛様へのお供えを忘れていたことに気づく。

 結婚してしまうと、行き遅れるという心配が消えたせいか、お雛様への信仰心が薄れたみたいだ。

「ええと……右大臣が左で、左大臣が右……と」

 母に確認した配置を呟きながら、私は襖を開けた。

「――ええっ!? なんで……?」

 数十分前に並べた雛人形が、すっかり移動している。

 五段目は仕丁。
 なぜか、左側に三体が固まっている。

 四段目の大臣席には、何もない。

 三段目の少年楽団も、なぜか左端に偏り、身を寄せあっているようだ。

 二段目の女官も、然り。
 お歯黒の年長女官の影に、二体の若女官が隠れるように立っている。

 そして――一段目。
 向かって右にお雛様。その左隣には、どう考えても不可解な左大臣が、女雛にぴったり寄り添っていた。

 雛壇から消えたお内裏様と右大臣は、重なるようにして、畳の上に転がっている。

『――お雛様の飾り位置には意味があるの。間違えた場所に置くと、雛壇の中の社会が乱れてしまうのよ……』

 不意に、祖母の声が聞こえた気がした。

 私はお供えを置くと、一体一体、もう一度優しく手に取って、決まった位置に並べ直した。


【終】

※ グルっぽにて『桃の節句』に合わせて投稿。