面白いレスを見つけた
今時期学校推薦で目にする物語についての話です
ちょっと長文になるけど、うーーんと唸る説得力ある話
裏を取ることもしてないからタイトルの通り、信じる信じないはアナタ次第
では、ご紹介しましょう


有名なアンネの日記だが、矛盾に満ちている。まずアンネ・フランクとその家族は、父親の会社の屋根裏部屋に隠れていたというが、会社の倉庫など真っ先に調べられると思うのは私だけだろうか? 
さらにアンネの家ではセキをしただけで咳止めを飲まねばならない状況だったそうだ。

当然だナチスがユダヤ人狩りをしている状況下でセキなどすれば一発で居場所がばれてしまう。
ところがこのセキもしてはいけない家でアンネ・フランクは家具を作っていた。有名な回転棚だ。しかも手作りだ。セキもしてはいけない家で大工仕事『トンカントンカン・・・・・』ありえない。さらに同居のおばさんは毎日電気掃除機を使っていたそうだ。

今でも電気掃除機はうるさいセキもしてはいけない部屋で電気掃除機当時の電気掃除機はセキより静かだったのだろうか、さらに2年以上8人で同居していて食料やゴミはどうしていたのか、ナチに狙われていたのに同居人同士でケンカしていて大丈夫なのかなどなど、内容は矛盾だらけだがさらに本物の『アンネの日記』の一部はボールペンで書かれていた。ボールペンが世の中で広く使われるようになったのは1951年アンネ・フランクが死んで6年後だ。

なぜ1945年に死んだ人間が6年後に使われるようになったボールペンで日記が書けたのか
そのボールペンで書かれた一部(第4巻)だけ追加されたとも取れるがそれは以下によって否定された。

1981年オランダ国立戦時博物館はアンネ・フランクの日記を真贋鑑定にかけるため法務省所属のオランダ国立法科学研究所に提出した。オランダ国立科学研究所は使用されている物質(インク・紙・のり)と筆跡を調査した結果を270ページにわたる報告書にまとめた。これによりアンネの日記はすべて同一人物によって書かれたことが証明された。

と言うことはアンネの日記は1951年以降に書かれた事になる。とすると真実は以下の2つのうちの一つとる。
(1)アンネ・フランクは1951年以降まで生きていて日記は1951年以降にアンネ・フランクが書いた。
(2)アンネの日記の作者は別人、どちらかでしかない。

実はアンネの日記の作者は分かっている、ユダヤ系アメリカ人メイヤー・レビンだ。その根拠はメイヤー・レビン自身がアンネ・フランクの父オットー・フランクから日記の謝礼金として5万ドル受け取ったと認めていることだ。

1947年、父オットー・フランクは、その作品をまるで自分の娘の作品であるかのようにして発表した。その結果、アンネの日記はピリッツアー賞を受賞し父オットー・フランクは莫大な財産を築いた。さてこの日記がミュージカルや映画として大ヒットすると版権は誰が持つのかという問題が生じた。作者(とされている)アンネ・フランクは死んでいる。

ここでメイヤー・レピンと父オットー・フランクは争い裁判に持ち込まれた。この裁判でメイヤー・レピンは自分が権利をもつ事を主張するためアンネの日記の作者は自分である事を暴露した。ここに至ってアンネの日記の作者はアンネ・フランクではない事が確定した。この裁判の内容はニューヨーク最高裁判所の判決として書類番号2241ー1956としてニューヨーク地方事務所にあるはずだが、そのフイルムは現在紛失中、しかも原因不明、調査しようとすると何者かの圧力がかかって続行不能。

そして1980年10月9日付ニューヨーク・ポストにはエルンスト・ロエマーが『アンネの日記は真実ではなく小説である』として長年の調査結果を裁判に持ち込んだ。2度目の裁判で、このロエマーの申し出は正当と認められた。

以上、アンネの日記の真実である。ただ、このことでわたしはユダヤ人を批判する気はない。ただ真実を知ってもらいたいだけだ。これは詭弁ではないユダヤ人もイスラエルも反日ではないし南京事件や慰安婦問題などで捏造記事を書いているわけでもない。

裏で反日に関わっているかも知れないが、証拠があるわけでもない、大体、捏造記事で批判されているドイツ自身が反論することを禁止する法律を作って自分で自分の首をしめているのに批判されていない日本がわざわざユダヤ人の恨みをかってまで批判するのはばかげている。

繰り返すがわたしは【ウソが嫌い】でウソに対して黙っていられないだけだ。