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https://www.bible.com/ja/bible/88/2pe.1.5.krv

ペテロの手紙 第2 1章5~8節
「主 イエスの知識」

5こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、
6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。


解説1
http://blogs.yahoo.co.jp/jusus_christ_no1/10665651.html

解説2
http://www.logos-ministries.org/new_b/2pet1.html

ペテロの第二の手紙の特徴は、「主イエスを知ということばにあります。次の節にも、「私たちが知ったことによって」とあります。そして、この手紙の終わり、3章18節にて「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。とあります。主イエスを知ることによる霊的成長、これがペテロの第二の手紙のテーマです。

抜粋
第二の手紙では、教会の中から、内部からの悪について取り扱われています。この動きに気をつけなさい、と勧めているわけです。

こうした偽教師、主を否定するようなことを言い、人から金をだましとり、また不品行を行なわせるような者たちが教会の中から出てくるのですが、ペテロはそのことを語るときに、ただ彼らに気をつけなさいと命じただけでなく、「イエス・キリストの恵みと知識において成長しなさいと勧めています。霊的な成長が、偽教師、悪、罪、つまずきから自分を守る最大の武器だ、ということです。

抜粋

こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

ここに書かれていることは、一言でいえば、「成長する」ということです。ペテロは、「あらゆる努力をして」と言っています。これは「勤勉になって」とも言うことができます。私たちの霊的歩みが、一定のところにとどまるのではなく、一歩一歩前進していかなければいけない、ということです。

信仰には徳を」と初めにあります。イエスさまを信じます、という告白をしただけでとどまるのではなく、それより一歩先に成熟に向かって進まなければいけません。そこで、「徳には知識を」とあります。イエス・キリストを個人的に、体験的に知っていくこと、神のみことばを通して知っていくことをしていかなければいけません。そして、「知識には自制を」とあります。知識を得ることで行き過ぎにならないように、自制が必要です。そして自制しながら知識を得ていく過程で、「忍耐」が加えられます。それから、「忍耐には敬虔を」とあります。ただ我慢するだけでなく、その中で神の後性質が自分のうちに形づくられていくようになります。そして、「敬虔には兄弟愛を」とあります。敬虔であるということは、自分自身だけの問題ではなく、人に向けられる愛となって現われなければいけません。そして、「兄弟愛には愛を」とあります。兄弟愛は感情のレベルのものであり、相互関係で成り立っていますが、そこからさらに一歩踏み出て、霊的な深い愛へと昇華させます。

これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。

イエス・キリストを知ったその目的は、「実を結ぶこと」です。イエスさまが、ヨハネによる福音書15章において、イエスさまがぶどうの木であり、私たちが枝である。そこから多くの実が結ばれるのを、父なる神が望んでおられる。実を結ばなければ、枝は投げ捨てられるが、実を結べば、父の栄光が与えられる、とあります。

私たちの生活から実が結ばれるようになるためには、どうすればよいのでしょうか?それが、今書かれていた、信仰から徳へ」「徳から知識へ」「知識から忍耐へ」「忍耐から敬虔へ」「敬虔から兄弟愛へ」「兄弟愛から愛へという鍛錬を繰り返せばよいのです。

これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。

もし実を結ばせないなら、その人は、「近視眼」つまり、救われていない人と変わらないことを話しています。これでは、自分たちの罪がきよめられたとしても、意味がありません。私たちは、成長しなければ、後退しなければいけません。「現状維持」という言葉は、クリスチャンの霊的歩みの中ではあり得ないのです。

ですから、弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。

私たちは、キリストにあって選ばれ、召されました。けれども、その選びは、自分のうちから実が結ばれていることによって初めて確かめられるものです。ですから、ペテロは、選ばれていることを確かなものとするために、ますます熱心になりなさいと勧めています。あなたがたは選ばれているのですから、救われいるかいないのかわからないようにするのではなく、はっきりと分かるようにしなさい、と命じています。

久々に難しいですね~
成長、彼は常にしてきましたよね。
ただ、純真なまま成長した彼に、悪の手が伸びないように。
彼が利用されないように、
願うばかりです。