191008 ファンボのFUNFUN LIFE カーレーサーに挑戦する、デビューした日引退する | サンチュカップルに夢中1号店(私たち本当に結婚しました)

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カーライセンスを取得して芸能人のレーシングチームにも所属している彼女。
私は、彼女を誤解していました。まさか、こんな事実があったとは。
てっきり、今もレーシングカーを乗り回しているのだとばかり思っていたのです。
リダがインフルエンザで日本の病院に隔離されていたとき、彼女は車で事故を起こしました。
リダも事故にあったことがあります。
韓国は交通事故が本当に多い国、いつも心配になります。

2009年9月6日    リダ、新型インフルエンザで日本の病院に入院
2009年9月15日   ファンボ、15日午前2時30分ごろ、バラエティー番組『日曜日、日曜日の夜に』の
              
ロケのため、全羅北道扶安郡に車で移動中、急カーブでスリップした。
              
幸い軽傷だったが乗っていた車が大きく破損。ヘリョンが事故現場までファンボを
              
迎えに来てロケ収録。ロケが終わり次第、ソウルで精密検査を受けた。
2009年9月16日  リダ、新型インフルエンザ完治。韓国に帰国(後に結婚を考えたと発言)
2009年10月4日  ファンボ、sujuのラジオ「Kiss Radio flower spring LIVE 」にて
              
BMKの「花咲く春が来れば」を歌う

 http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?Total_ID=3812203


  
幼かった時私は運転する男がそんなにすばらしく見えることはできなかった。 私がハンドルを握ることになる前まで話だ。 姨母夫はタクシー運転手だった。 幼かったとき姨母夫車に乗るたびに姨母夫は左側が方向指示器ならば左折をしたし、右側が方向指示器ならば右折をした。 私はその時、車が道を案内することでだけ分かった。 それだけ運転に対する基本も分からなかった。 そして歳月が流れて私は自動車を運転できる年齢になったし、免許を取った。 ワ~そのうれしい。

ところでひとまず運転を始めた後悟った事が多い。 運転する男がサングラスをかけて窓を半分ぐらいおりたまま一つの手でハンドルを回すのがそれほどすばらしくないということから始めて運転に関する幻想は一つずつこわれた。 ミスで接触事故を起こした時微笑を浮かべた顔で謝れば笑って受け入れる姿は公益広告だけで見ることができるとのことも知るようになったし、割り込むことをする時方向指示器をつければ後続車が必死に駆け付けて割り込むことができないようにするということも分かった。

それでも走るのはすばらしいこととし私はよく走ってみることに挑戦してみた。 私は芸能人レーシングチーム メンバーだ。 自動車競技場で競技用車を運転してはやく駆け足競技をするそのレーシング話だ。 ここまで話せば私もかなり素晴らしい人のように見える。 ところで今まで私の最初の競技が最後の競技だったということを先に告白しなければならない。

事実私がレーシングチームに入ったのは偶然だった。 芸能人レーシングチームに女ドライバーが別に多くないので探している間偶然に私がかかった(?) ことだ。 ドラマ‘王初’で犬コロー出てきたタレント イ・ドンフン兄さんが私に“よく似合うようだ”としてレーシングチームに入ってこいと薦めるのに行ってそのまま入団してしまった。 カーレーサー準備はかなり熱心にした。 研修をみな受けたし、カーレーサーライセンスを取って、容認サーキットに行って練習もした。 そしていよいよ私の初めて試合が始まった。

ところで真に変なことだった。 同じ車を持って最後まで踏んで速度を出すのにもなぜ他の車が私に勝つのか気になった。 ギア調節や、そんなノウハウがあることとは考えるが…. とにかく試合が始まって、ひゅうっとして走っていって見ると思ったより恐ろしくて緊張した。 特にハンドルを回す時は危険だった。 速度を出している状態でハンドルを回して見たらける外に押される時が多かった。 それでも速度を下げれば遅れをとるので競技する時はブレーキを踏むことが殆どない。 このように走ってふとバックミラーを見ると後続車がぴたっと追いかけてくるのが見えた。 とても恐ろしかった。 後続車が私を受けるかも知れないという考えにおじけづいて速度を下げた。 その瞬間、本当に後続車が私を受けてしまった。 そして次の瞬間、私は一人でトラックを逆に走っていた。 それからまた、壁に向かって突進. その瞬間私は死を思い出させた。 ‘ア! 大変だ。 大きい事故を起こしたんだな’. 考えとほとんど同時に壁を受けたが、そうだな競技場壁がスポンジになっていて衝撃を吸収した。 それで大いなる幸甚で生き返った。 出てきてぶつかった車は中間に競技が出来なくなった。 とにかく精神を収拾して再び走った。 結果はオート部門4等. なかなか良い等数だがオート部門全体選手は5人だった。

 

その後私はレーシングをしない。 まだその時後遺症でバックミラーを見れば後についてくる車のためにおじけづいたりする。 その後私がしたことは先輩たち応援程度だ。 だが、容認競技場が太白(テベク)側に移しながらこの頃はその応援も行けなくなっている。 ここでひとまず弁解するか。 私たちの芸能人レーシングチームに私のような選手だけいると考えてはいけない。 私たちのチームのアン・ジェモ・リュ・シウォンなどは本当に実力派だ。 京畿湾(キョンギマン)出て行けば1等をするほどだ。 その兄さん等を見て、私も夢を育ててみたがレーサーはただ夢で終わった話になった。 そしてもう一つ。 私たちのチーム監督であるタレント イ・セチャン兄さんから習った技術一つは残った。 ドラマを見れば走って一気に反対方向で車を回す技術. 今はスタントマンのようにその技術を駆使できるということ。

この前スケジュールのために地方に降りて行く時私の車を運転したマネジャーが交通事故を起こした。 私は寝て当てられたことだと当時には状況を知らなかったが、その上に人命被害がなくて‘フユ~’した。 とにかくこのように短いが次第波瀾万丈な運転経歴を通じて考えたのはこれだ。 はやく走るのも、サングラス挟まっておしゃれするのも、そばに行く車が決して割り込むことができないようにして勝ってみるのも別に面白みがないということ。 かえって譲歩をすれば手ある当番になって、割り込みたくて方向指示器をつければ譲歩ほどほどにして…. このように運転するのがすべての運転者を気楽でおもしろくするのではないだろうか。 運転は上手にするのがないといった。 用心運転・安全運転が最高だ。

ファンボ
 

어렸을 때 나는 운전하는 남자가 그렇게 멋져 보일 수가 없었다. 내가 핸들을 잡게 되기 전까지 말이다. 이모부는 택시기사이었다. 어렸을 적 이모부 차를 탈 때마다 이모부는 왼쪽이 깜빡이면 좌회전을 하셨고, 오른쪽이 깜빡이면 우회전을 하셨다. 나는 그때, 차가 길을 안내해주는 줄로만 알았다. 그만큼 운전에 대한 기본도 몰랐었다. 그리고 세월이 흘러 나는 자동차를 운전할 수 있는 나이가 됐고, 면허를 땄다. 와~ 그 기쁨.

그런데 일단 운전을 시작하고 난 뒤 깨달은 게 많다. 운전하는 남자가 선글라스를 쓰고 창문을 반쯤 내린 채 한 손으로 핸들을 돌리는 게 그다지 멋지지 않다는 것부터 시작해 운전에 관한 환상은 하나씩 깨졌다. 실수로 접촉 사고를 냈을 때 미소 띤 얼굴로 사과하면 웃으며 받아주는 모습은 공익광고에서만 볼 수 있다는 것도 알게 됐고, 끼어들기를 할 때 깜빡이를 켜면 뒤차가 필사적으로 달려와 끼어들 수 없도록 한다는 것도 알았다.

그래도 달리는 건 멋진 일이라며 나는 잘 달려보는 일에 도전해봤다. 나는 연예인 레이싱팀 멤버다. 자동차 경기장에서 경기용 차를 몰고 빨리 달리기 경기를 하는 그 레이싱 말이다. 여기까지만 말하면 나도 꽤 멋있는 사람처럼 보인다. 그런데 지금까지 내 첫 경기가 마지막 경기였다는 걸 먼저 고백해야겠다.

사실 내가 레이싱팀에 들어간 건 우연이었다. 연예인 레이싱팀에 여자 드라이버가 별로 많지 않아서 찾던 중 우연히 내가 걸린(?) 것이다. 드라마 ‘왕초’에서 개코로 나왔던 탤런트 이동훈 오빠가 내게 “잘 어울릴 것 같다”며 레이싱팀에 들어오라고 권유하기에 갔다가 그대로 입단해 버렸다. 카레이서 준비는 꽤 열심히 했다. 연수를 다 받았고, 카레이서 라이선스를 따고, 용인서킷에 가서 연습도 했다. 그리고 드디어 나의 첫 경기가 시작됐다.

그런데 참으로 이상한 일이었다. 같은 차를 가지고 끝까지 밟으며 속도를 내는데도 왜 다른 차들이 나를 이기는지 궁금했다. 기어 조절이라든지, 뭐 그런 노하우가 있을 거라곤 생각하지만…. 아무튼 경기가 시작되고, 쌩 하고 달려나가고 보니 생각보다 두렵고 긴장됐다. 특히 핸들을 돌릴 땐 위험했다. 속도를 내고 있는 상태에서 핸들을 돌리다 보니 차는 밖으로 밀릴 때가 많았다. 그렇다고 속도를 줄이면 뒤처지기 때문에 경기할 때는 브레이크를 밟을 일이 거의 없다. 이렇게 달리다 문득 백미러를 보니 뒤차가 바짝 쫓아오는 게 보였다. 너무 무서웠다. 뒤차가 나를 받을지도 모른다는 생각에 겁을 먹고 속도를 줄였다. 그 순간, 정말 뒤차가 나를 받아버렸다. 그리고 다음 순간, 나는 혼자서 트랙을 거꾸로 달리고 있었다. 그러곤 또 벽을 향해 돌진. 그 순간 나는 죽음을 떠올렸다. ‘아! 큰일이다. 큰 사고를 냈구나’. 생각과 거의 동시에 벽을 받았는데, 글쎄 경기장 벽이 스펀지로 돼 있어 충격을 흡수해줬다. 그래서 천만다행으로 살아났다. 나와 부닥친 차는 중간에 경기를 못하게 됐다. 어쨌든 정신을 수습하고 다시 달렸다. 결과는 오토부문 4등. 괜찮은 등수지만 오토부문 전체 선수는 5명이었다.

 

그 이후 나는 레이싱을 하지 않는다. 아직도 그때 후유증으로 백미러를 보면 뒤에 따라오는 차들 때문에 겁을 먹곤 한다. 그 뒤 내가 한 일은 선배들 응원 정도다. 하지만 용인 경기장이 태백 쪽으로 옮기면서 요즘은 그 응원도 못 가고 있다. 여기서 일단 변명 하나. 우리 연예인 레이싱팀에 나 같은 선수만 있다고 생각하면 안 된다. 우리 팀의 안재모·류시원 등은 정말 실력파다. 경기만 나가면 1등을 할 정도다. 그 오빠들을 보며, 나도 꿈을 키워봤지만 레이서는 그저 꿈으로 끝난 이야기가 됐다. 그리고 하나 더. 우리 팀 감독인 탤런트 이세창 오빠한테서 배운 기술 하나는 남았다. 드라마를 보면 달리다가 단번에 반대 방향으로 차를 돌리는 기술. 이젠 스턴트맨처럼 그 기술을 구사할 수 있다는 거.

얼마 전 스케줄 때문에 지방에 내려갈 때 내 차를 운전하던 매니저가 교통 사고를 냈다. 나는 자다가 당한 일이라 당시엔 영문을 몰랐지만, 그나마 인명 피해가 없어서 ‘흐유~’ 했다. 어쨌든 이처럼 짧지만 나름 파란만장한 운전 경력을 통해 생각한 건 이거다. 빨리 달리는 것도, 선글라스 끼고 멋을 부리는 것도, 옆에 가는 차가 결코 끼어들지 못하도록 해서 이겨보는 것도 별로 재미없다는 것. 오히려 양보를 해주면 손 한 번 들어주고, 끼어들고 싶어 깜빡이를 켜면 양보 좀 해주고…. 이렇게 운전하는 게 모든 운전자들을 편하고 재밌게 해주는 게 아닐까. 운전은 잘하는 게 없다고 했다. 조심 운전·안전 운전이 최고다.

황보