自分は生まれも育ちも横浜です。

そんな自分が初めて行ったのが、テニスの大会での
レジーナの森(羽鳥湖)でした。

その試合の際、何気なく仙台へ牛タンを食べ行こうとなり
仙台に行った。

それは24歳。今から12年前の頃の話です。

それから翌年は仙台へ旅行、松島まで行きました。

東北の空気はなんか好きで、とても癒されました。

それからはテニスの大会で

岩手は安比、宮城は泉、福島は羽鳥湖と試合に出続けました。
毎年のように行き続けました。

試合を引退し、仕事に専念しました。
仕事は経営者と合わず辞めることとなり
その時、恋人とも音信不通になり、どん底を迎えました。

それは3.11が起きた年の夏になります。

その一年後に仙台に慰安旅行に行き、その時初めて石巻へ行きました。

震災から一年と半月・・・
それでも傷跡は残っていて心に衝撃を受けました。

けれど復興に向かっている石巻の街並を見て
とても心を動かされました。

その時に作ったのが、この『The ground』です。
急遽、セットリストに加えて演奏をすることになりました。



この演奏の時に、出会いがありました。

それは東北で支援演奏をされている
高橋日出子さんとの出会いでした。

このアメブロにて知り合ったのですが、コンサートを聴きに来て頂き
それをきっかけに

東北の演奏の実現へと向かうこととなりました。

石巻の川開き祭りでの演奏へとなりました。

初めての東北での演奏・・・

仙台にあるドレミ教室の武山さんには
関東から来た僕たちにリハーサル場所を提供していただき
お食事までご馳走して頂きました。
とても温かく、東北初の路上コンサートに向けて力付かせて頂きました。

石巻では

佐々木さんと出会い
時には風に吹かれて荒れるスコアを抑えてくれたり、道を迷った自分を助けて
頂いたり(^_^;)

そして、佐々木さんからご紹介を頂き
今回、歌津伊里、さんさん商店街の話をして頂きました。

南三陸観光協会、歌津広報をされている坂下さん、そしてさんさん商店街の阿部さん

皆さんとても温かい方ばかりで、自分たちのコンサートを快く承諾して頂きました。

話をする度に、復興に向かう力強さを感じて
関東で元気のない人たちにこの姿を見せたいと思うほどでした。


支援演奏・・・
無名な作曲家の自分にどこまでできるのか・・・

ただの自己満足の演奏にしたくはないし
一方的に語るだけではなく、音楽を通して対話がしたい。

数奇な運命によって、色々な方と知り合い様々な出来事が起こりました。

大変なことはたくさんあるけど
だからこそ終わった時の充実感は計り知れないものがあります。

石巻での『The ground』の演奏を終え、感謝された時は

今まで演奏してきた中で最も充実した瞬間でした。

これからもそんな瞬間が迎えられるように頑張りたいと思います。

また、今回の演奏を応援してくれる多くの方の想いを伝えると同時に
ブログやFacebookなどのソーシャルネットワークにてその模様をお伝えできたらと
考えています。


さてさて長く書いてしまったけどあせる

これから、演奏予定曲のアレンジとピアノ練習しなきゃっあせるあせる