地雷撤去人 AKI RA | 学生団体S.A.L. Official blog

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シェムリアップに来て3日目、
今日は地雷博物館へと足を運んだ


皆さんは”カンボジア”という国をイメージしたとき、いったい何を真っ先に思い浮かべるだろうか
”貧しい”、”発展途上国”、”学校に行けない子供”、”日本がよく支援してる”、...
様々なイメージがあるだろう
しかし、その中でも多くの方がこれをイメージするのではないだろうか

”地雷”

カンボジア=地雷がたくさんある危険な国
そう、これは未だ拭い去られないカンボジアに対するイメージであり、実際に未だ約500万個の地雷(不発弾を含む)がこの国に埋まっていると言われている
「カンボジア行くの??地雷気をつけてね」
「カンボジア??すごいな、そんな危ないところ行くんだ、、生きてかえってこいよ」
日本を出る前にそんな言葉をかけられた記憶がある
前述のように、確かにこの国には多くの地雷が未だ埋まっている
しかし私がこの国で生活していて、地雷の危険、ひいては命の危険など少しも感じたことはない
地雷が埋まっているのは主にタイとの国境付近であり、都市部には無いのである
それでも、未だ年間に約200人の方々が地雷の被害に遭われている

そんな地雷の被害者をなくそうと、懸命に活動している勇士がいる
それがAKI RAだ
シェムリアップのボランティアのディマイナー(地雷撤去屋)として長年活躍する彼は、今までに無数の地雷や不発弾を撤去してきた カンボジアで彼の名を知らない人はそういない
地雷博物館も彼がつくったものだ
2010年にはCNN HEROS(CNNが毎年世界の偉大な10人に送る名誉ある賞)に選ばれ、その名を世界に轟かせた

彼がこれほどまでに、自身の命を危険にさらしてまで地雷撤去にこだわる理由とは、いったいどこにあるのだろうか
それは、彼の今までの人生そのものにあった

昔、ある先生から1973年に生まれたらしいと聞いた事以外、 自分がいつどこで
生まれたのかすらハッキリとわからない
幼い頃、彼はカンボジアの北西部にあるSiemReapという地で、あらゆる武器と忘れもしない地雷の恐怖に囲まれながら暮らしていた
両親はいたが、5歳の時二人とも罪とは言えないような罪に問われ、クメール=ルージュに殺されてしまう
しかしその後、驚くべきことにそのクメール=ルージュによって彼は兵士として育てられていったのだった
銃の使い方から地雷の設置の仕方、あげくの果てには簡単な爆弾の作り方までみっちりと教え込まれ、たった10歳にして自分の銃を与えられたという
13歳の時、彼の村はベトナム軍に占領され、ベトナム軍にくだるか殺されるかという窮地に立たされる
結局彼はベトナムに徴兵され、今度はかつての「育ての親」ある、クメール=ルージュを相手に戦うことになる
1990年にベトナム軍がカンボジアから引きあげるまで、彼はベトナム軍と共に過ごし、そしてその後、依然としてクメール=ルージュと敵対していたカンボジア軍に入軍することになったのだった
このようにいくつもの軍を転々とする中、彼はそれぞれの戦いにおいて多くの地雷を埋めてきたのだ

彼はこう言う、
地雷の被害に遭われた方々の中には、もしかしたら僕の埋めたものによる被害もあるかもしれない。一生をかけて一つでも多くの地雷を撤去し、償っていかなければならない。



みなさんはどう思うだろうか?
自分の埋めた地雷を自らの手で撤去し、一生をかけて償うと言うAKI RA
その彼を英雄と讃える国民
この二つには矛盾を感じるように思える

しかし、僕は地雷博物館において、そこに一つの揺るぎないことがあると感じた
地雷撤去の依頼を受け、終わったあとにAKI RAが見る村人たちの笑顔だ
AKI RAの無事撤去完了に歓喜し、見せる笑顔
ボランティアで活動をしている彼は、ここに本当のやりがいを感じているのではないか
その笑顔が繋ぐ関係には、一切の矛盾を感じることはなかった



[PM局 5期 堀江隆寛]