Re:戯言 拝啓つぶあんこ様 | Eisai i nyxta me ta ainigmata

Eisai i nyxta me ta ainigmata

つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。

えーとですねえ。
某つぶあんこからパクリサイトだと指摘されて
最初精神的に参ってしまいました。
映画観るのも精神的に辛かったりしたし。

でも、なんだろう。
自分を責める気にはやっぱり到底なれないのです。
確かにパクったのは認めるとして
パクった対象が自分よりもクソ野郎だって、すごく感じたのね。
だから別に後始末とかどうでもいいやって思ってきちゃった。
「あさま山荘」の文章を直したところで
シンパ殿はmixiをはじめあらゆるところをつぶそうと考えるでしょう。
実際mixiのアカウントはつぶされたも同然の状態にされてしまいました。
じゃあ、何かすればいいのかって?

なんか、どうでもよくなっちゃった。
つぶあんこの映画批評が、やっぱりクソ批評にしか見えなくなっちゃったから。


自分にとってはつぶあんこの映画批評は
「映画を批評する」ことに執着して「映画を愛する事」を放棄しているにしか
まるで見えないのであります。


それはつぶあんこ様の映画批評が
まったく映画への愛情に満ちていない



自分よりも映画ファンとしてクソ野郎にしかどうしても感じられないのです。



たとえば重箱の隅を突く様な突っ込みをして
「この監督は映画を愛していない」
って、よく言えるもんだよ思ってしまうわけですよ。

お前はどこぞの映画監督かよ。
1本でも映画を撮った事のある関係者かよと。
映画を褒める事を考えないで貶す事しか考えていない。
たとえば「ダメ映画を楽しむ」なんて事は彼にはできない事でしょう。

だってつぶあんこは映画を愛してないんだから。

しかし、どうしてみんな気付かないのか不思議ですね。
わしがそう思ってしまうからかな?
分かり易い文体で書けばいい所を、ワザと難しく、まわりくどく婉曲的な表現で書き
さらにそれを映画とサブカルの知識で味付けして
自分の解釈が絶対だと知らしめているだけだと。

自分のオナニーこそが正義だと感じている事を。
やっぱり彼は、映画を愛していないオナニストにしか感じられないのですよ。
「俺が感じた方法で感じられない奴はクソだ」としか。

もう、映画の観方として「映画の良いところを見つける」という視点が
致命的に欠けている人って
自分が言える柄じゃないけれど、ヒトとしてすごく寂しい人だと思う。
そして、わしは改めてつぶあんこが寂しい人なんだなあって
すごく感じてしまった訳。

小者の自分が言うのもなんだけど、コイツも小者じゃん。ただの。
映画に対する謙虚さに欠けた唯の文句垂らしじゃん、つぶあんこ。

ホントに頭の良い人は、難しい事を易しく、噛み砕いて表現できる筈です。
そして大抵謙虚でもあります。
つぶあんこは自分を大物にみせたいだけの、
ちょっと頭の良い小物である事をわしは感じるのですよ。
様は観た映画が自分の趣味に合うかどうかを
理論を駆使し後付けの理由を加えて書いているだけじゃないですか。

自分も映画ファンとしてクソかもしれないけれど
つぶあんこほど腐りきったクソじゃないって思ってから
精神的にキモチが晴れてきたのでした。

こいつ、論理的に振舞っているだけの小者じゃん。
しかも俺よりタチの悪い小者じゃんかよ。

って。

あと、つぶあんこシンパ、死んでください。
はっきり言って捨てアドで自分のアカウント晒したところで
なんにもならないから。

ああ、なんか精神的にすっごく気が晴れた気がする。

つぶあんこシンパ、ブタ野朗。

これからも自分の感性で映画を楽しもうかなと思ってます。
「楽しいを素直に楽しい」と感じられるように。
映画って、娯楽じゃんと素直に思えるように。