ブリッジ | Eisai i nyxta me ta ainigmata

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つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。


今日は2時から用事というか仕事があったので
本日公開の中で1回目の上映で観に行けるものの中から
恵比寿ガーデンシネマへ「ブリッジ」を観てきました。
http://the-bridge-movie.com/


クドカン嫌い、ゾディアック3時間上映とくれば
必然的に観に行く映画の範囲は狭まっちゃうんだけどね。
アポカリプトも2時間半上映だし。

これを観に行く時点で性格Mなの、改めて実感しますわ。

サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジというところは
世界一の自殺の名所であり
橋を通して繰り返される自殺を通して
当事者や自殺者の友人などから
アメリカでの自殺観を問い掛けるドキュメンタリーです。

映画のしょっぱなで
デブのおっさんがいきなり飛び込むシーンからして
「ツカミはOK」です。
この映画では「ホンモノの飛び込み自殺シーン」が
バンバン登場します。かなりヒキます。

そして、最後のシーンまで後味が悪い終わり方をします。
当然ですが、こんな映画は日本では成立しません。
成立するとしたら「東尋坊」になるのでしょうが
それでも首つりが自殺の首位にくるような国において
飛び込み自殺を扱う事自体ありえません。

確かに非常に後味の悪い映画です。
とはいえ、その「後味の悪さ」はどこか違う違和感なのです。

映画は「当事者の身近にいた人」のインタビューで
進行していきます。
「ダイブ」から生き残った人も勿論登場します。

このドキュメンタリーから感じる違和感の大きな理由は
これは日本人だから感じるものだと言えるのですが
アメリカ人の「リアリズムと個人主義」に
どうしても違和感を感じてしまうのです。

そこを問い掛けられているのはわかるのですが。

映画に登場する人達の誰も
「なぜ自殺してはいけないのか」という事に言及していません。
「生きていればきっと良い事がある」なんて言葉は
誰一人として言っていません。
日本人にとっては議論する以前、当たり前に
「自殺は良くない事だ」という大前提が意識として
当たり前に持っているのですが
直接的には勿論言っていないけれど
インタビューする人達からは
アメリカ人には「自殺する権利がある」という事を
誰もが認識してインタビューを受けているのです。

だから
自殺する彼が助けを求めてきたら手を差し伸べるけれど
自分からは深入りをする事はしないのです。

橋の欄干に立ち、死と直面しているそのとなりで
日本人だったら誰だって気付くし、止めるであろう状況なのに
見向きもせず通り過ぎる人達。
映画ではその人達もしっかり映しています。

それは無関心ではなく、自殺に干渉しないという意識。

そしてこの「自殺する権利を認めている価値観」こそ
自分が感じる違和感なんじゃないかと思うのです。

日本人には理解できなくて当たり前だし
理解しようがないんだけれど
自殺について考えさせられる映画だとは思います。

ただ、この映画を観て「自殺は絶対悪だ」と感じるのではなく
アメリカ人には自殺について日本人と違う価値観があるのだと
それを感じ取るのがこの映画の正しい受け止め方なのでは、と。

あ、上映後久しぶりにぴあのアンケートを受けたのですが
面倒くさいから100点って答えて写真撮られてきました。
ぴあのアンケートを見て映画を観に行くような奴は
逆に観に来るなと言いたいんだけど、ね。