野球が初めて日本に伝わったのは明治4年、当時は『打球鬼ごっこ』と呼ばれ、一部の学生の遊びとして行われていただけだった。その後、学生スポーツとして発展するが、昭和6年、ベーブルースの来日時には、全日本軍は17戦全敗。

 

戦後、王・長嶋といったスーパースターの登場で、日本にも野球ブームが到来。野球人口は爆発的な増加を見せ、その後世界最多に。また、徐々に力をつけてきた日本野球から、野茂やイチロー等、メジャーに挑戦する選手も出て来るようになり、2006年、2009年のWBC連覇を経て、2014年には遂に世界ランキング1位に上り詰める。

 

その間には、中日・杉下投手のフォークボールや、南海・皆川投手のカットボール等日本人投手が発明した新しい変化球が世界中で投げられ、野村監督が盗塁阻止の為に開発した投手のクイックモーション、王ジャパンがWBC初制覇で見せたスモールベースボール(バントや進塁打を多用する戦法)は、今や世界の野球界の潮流になっている。

 

手先が器用で犠牲的精神の強い日本人の特長を生かし、世界のトップに立った姿は、昔、高度成長期にジャパンアズNo.1で、世界をリードした産業界に構図が似ている。

 

大谷、ダルビッシュを中心にした侍ジャパンが、14年ぶりに世界の頂点に立ち、なんだか元気がない昨今の日本の社会に、これ以上ない朗報になった。

 

桜開花の便りとともやって来た嬉しいニュース。

 

久々に、野球場に足を運びたくなった・・・

 

 
黒蟻は目が悪く、敵を臭いで判断する。巣に敵が侵入すると、嗅覚鋭くその敵に群がって集団で襲い、撃退してしまうのだ。……そんな中、黒蟻の臭いを真似し、まんまと巣に入り込むのが得意な蟻がいる。トゲアリである。……彼らは、巣に入り込むと、女王アリに近づき、彼女を倒して巣を乗っ取るのである。
 
ところが、トゲアリの中にも出来の悪い奴がいて、女王アリに近づく途中で自分の臭いを出してしまい、兵隊アリにやられるのも居るそうだ。
 
…………
 
因幡の白兎は、向こう岸に渡る為、鮫に『どちらが数が多いか数えてあげよう』と、鮫を並べさせてその上を飛び渡り、後もう少しと言う所で『やーい、鮫よ、本当は向こう岸に渡りたかっただけなのに、騙されたな!』と、鮫を笑ってしまい、鮫を怒らせて皮を剥がれてしまった。
 
…………
 
中国共産党は、鄧小平の改革開放以来、その爪を隠して来た。世界中に経済面で入り込み、『世界の工場』としての地位を確立し、国力を増強して『GNP世界第二位』の国にまで成長、そして、軍事面でも軍備を着々と拡大し、もう少しでアメリカに追いつく所まで来ている。
 
ところが、習近平が国家主席に就任してから様相が一変した。『戦狼外交』を前面に押し出し、南シナ海に人工島を作って進出。一帯一路では、世界の国々に高利で金を貸し、返済不能と見ると港湾を担保として手に入れる等して、軍事拠点としている。……彼らの触手は、香港に及び、次は台湾。そしてその次は、沖縄だろう。
 
中国の軍事気球が、今、世界の話題になっている。爪を隠さなくなった中国だけに、世界の警戒度は、頂点にまで達している。
 
習近平が、もう少し『したたか』であれば、軍事力でアメリカを追い抜いてから馬脚を表し、世界中が騙され、世界は中国の支配下に収められていたのであろう。正体を現すのがちょっと早すぎたのだ。
 
神様は、世界を守る為に、習近平を歴史の表舞台に立たせたのかも知れない………
 
 

 

私には、2月1日になると思い出すシーンがある。


昭和45年2月1日、南海ホークスのキャンプをスタートさせた中百舌鳥球場には、珍しくファンが多く集まった。お目当ては、前年の選抜優勝投手でドラフト1位・島本講平である。前の年の太田幸司に続いての「こうちゃんブーム」で、近所の小学生もサインを求めて、数多く来ていた。

 

小学6年生だった私も少し遅れて来たが、サイン色紙を手に、島本の前の列の最後尾に並んだ。列が少しずつ進み、次は私の番だという所まで来たとき、外野で集合がかかった。島本は、少し迷った様な顔を見せたが、『君、ごめんね・・・』といい、集合場所の外野に走って行ってしまった。私は、一人だけサインを貰えず、残されてしまったのだ。

 

その時である。何と新監督のノムさんが、ノシノシと通りかかった・・・『何や・・・あと一人くらい、やってくれらええのになあ・・・おい君、こんなおっちゃんのサインで良かったら、書いてあげるから色紙、持っておいで・・・』私は、何と、野村監督のサインを貰うことになる。

 

その日以来、ノムさんは私の神様になった。

 

彼の人生はその後、波乱万丈。今でこそ、『野球の第一人者』との評価を世間から受けているが、生前は敵も多く、嫉妬や憎悪の的になったことも事実である。しかし、世間から叩かれようが、サッチー問題で南海・阪神の監督を解任されようが、鶴岡監督と喧嘩し、南海ファンから批判されようが、私には全く関係ない。ノムさんのコメントを新聞で探し、テレビやラジオ番組を追いかけ、著書は全て目を通した。

 

私の人生哲学は、ほぼノムさんからの影響で出来ている。仕事で悩んだとき、行く方向が決まらなく迷ったとき、物事が嫌になったとき、私を救ってくれたのは、いつも野村語録だった『失敗と書いて成長と読む』『迷ったら厳しい方の道を選べ』『努力は誰かが見てくれている』・・・

 

たった一人の野球人が、一人の人間の人生を変えてしまうこともあるのだ。今年の2月1日も、53年前の中百舌鳥球場での神様の温かい笑顔を思い、手を合わせた・・・