一連の議会報告をまだすべて終えていませんが、今日のブログでは、今日やってきた活動をご報告します。

以前みなさんにお誘いさせていただきましたが、今日4月3日、東村山市にある国立ハンセン病療養所多磨全生園に行ってきました。

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全生園はたくさんのみどりがあります。

この季節は桜と菜の花がきれい。


まず、ハンセン病資料館を当事者の方に案内していただいたあと、私たちは全生園の中を歩きました。


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ハンセン病の問題は、私は高校生・大学生の頃に関わりを持っていました。


ハンセン病は古く昔からあって、末梢神経がおかされるために、病状が進むと手足や顔などが変形するなどの症状が出るので、差別されていた病気でした。


実際のところは「らい菌」という弱い感染力の菌が感染することによる病気なので、小さいころにくり返し患者と接触して、しかもその子の免疫力が弱かった場合にうつることがあり、発症するのは10年以上たってからということが多かったものです。

なので、療養所に入るのは10代20代くらいの人が多かったようです。



感染してすぐ発症するわけではないし、親が病気だとこどもも病気になることが多いことから、遺伝病ではないかといわれていました。

そのため、患者のいる家族は一家で差別されるということがあり、村にいられなくなって浮浪状態になることも多かったという歴史があります。



日本でいう明治の時代にハンセンという人がらい菌を発見して、遺伝ではないということが分かりました。

そんな中で医師から「感染するなら隔離する制度を作らねば」という声があがって、明治時代にハンセン病に関する法律ができました。



それで次第に療養所に患者を隔離するようになったのですが、実際には療養所内では患者が肉体労働もしていたし、こどもの教育も患者の中から教師役を出しているなど、患者の負担が大きく、処遇改善を求める声をあげると環境の悪い監房に入れられて罰せられるといった、療養とは程遠い環境でした。




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全生園に保存されている、昔の療養所の住居です。

昔は複数人の相部屋で、患者同士が結婚すると、その相部屋の部屋に一方が通ってくる「通い婚」状態でした。結婚しても相部屋という状態で、プライバシーも保たれなかったということです。



こどもを産んでその子が病気になるといけないという理屈で、結婚する時は男性が断種手術をする。断種手術がうまくいかなかったなどの理由でこどもができると堕胎するといった対応がなされていました。

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上の写真は、柵があってこれ以上近づけないので分かりづらいですが、「望郷の丘」。かつて療養所に隔離された患者がここに上がってふるさとを想ったといいます。

一度療養所に入ったら、本名を名乗ることはやめて仮の名を名乗り、残してきた家族との連絡も断ち、(家族にハンセン病の患者がいるということで残された家族も差別されるため)療養所の中だけで人生を終えることが前提になっていました。

「らい菌」を治療するための薬が初めてできたのが1943年。それから薬は改善されて、今では病気になってもすぐ治る病気になっているし、日本ではほとんど新規の患者が出ない状況になっています。

今、療養所に入っている人も、病気そのものは治っているけれど、調子が悪いとするとそれは後遺症という状態です。



しかし、今からちょうど20年前、1996年まで患者・元患者を隔離する法律が続いてきたのでした。

病気は治っていても、当時すでに高齢になっていた元患者さんたちにとって、今から社会復帰できると言われても難しい、という事情で、療養所での生活を続けている方もいらっしゃいます。資料によれば昨年5月の段階で全生園の入所者は213名とのこと。

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上の写真も全生園の中。

療養所内には写真のように、横断歩道もあるし、郵便局もあるし、売店も食堂も、お寺など宗教施設もあります。まるで街のようなのです。


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療養所内の食堂でお茶をしてきました。

「あん」という映画はハンセン病だった女性が主人公で、この食堂も映画の中に登場します。




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私は1996年にハンセン病の人を隔離する「らい予防法」が廃止された後、初めてこの問題を知り、とてもショックを受けました。

私は当時16,7歳でしたが、病気を理由に人を一生涯隔離することがつい最近まで許されてしまっていたことがショックだったのです。

今までこの問題を知らなかった私にも責任がある、という思いで、大学時代は月に1回くらいのペースで全生園に通っていて、卒論もハンセン病の当事者の書いた小説をテーマにしました。



今回全生園に行くにあたってあらためて自分の卒論も読み直してみたりもしたのですが、同じ過ちを繰り返さないために、学ぶべきことが多いと思います。



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かつて隔離され差別されたこの場所に、今は地域の人がたくさんお花見に訪れています。




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ハンセン病について、今回改めて、みなさんに色々お伝えできたら良いなと思いましたので、近いうちにみなさんにご紹介できるような資料を作成したいなと思います。

全生園もハンセン病資料館もどなたでも入れますし、練馬からは近いですから、ぜひ足を運んでみてください。案内が必要でしたらお声かけください^_^