夏が終わりかけている。
夜空に浮かぶ白鳥の位置がそれを語りかけてくる。
短い夏のほとんどを、僕らはこの小さなまちで過ごした。
山あいのそのまちは、林業と放牧で成り立っている田舎町だ。
宿を経営しているのは気のいい主人と女将さんで、ご主人のお父さんから家業を引き継いだばかりで、まだ若かった。
ちょうどどこの学校も夏休みだ。
このまちにも子供たちが寄宿舎から帰ってきていて、普段聞かれない賑やかな声に溢れている。
まだ子供のいないふたりは寂しい思いをしていたようで、僕らを心から歓迎してくれた。
まちには綺麗な川が流れていて、小さな橋があちこちに架かっている。
木で出来たその小さな橋を牛や羊を連れた人びとが通り過ぎたり、兄と思しき少年に釣りの手ほどきを受けながら真剣な顔で釣り糸を垂らす小さな子供を見かけることはよくあった。
川の水は山から下りてくる。
山の中には流れの緩やかな箇所がいくつかあって、そこも子供たちのよい遊び場になると聞き、僕らは出かけることにした。
人の育てる山は針葉樹ばかりだ。山に入ってもちゃんと陽の光が下りてくる。
ここはかなり北になるのか、かなり涼しいが、山の中はなおいっそう過ごしやすい。
山道を登ってもうっすら汗ばむ程度で、不快さは全くない。
リズとヴィクトリアも日傘を揺らしながら、ゆっくりついてくる。
一時間ほどで目的地に到着した。
まちの中と違い、川の水はしぶきを上げて走っている。周りは岩場だ。
そこに水が流れ込み、池とも言えない水溜りを作っている。そこから下へはゆったりした流れになってた。
水面は光の加減でアクアマリンに見えたり、深緑に見えたりする。水は飲めそうなほど綺麗だ。
覗き込むと、結構深さがあるようだった。立てないことはないが、僕らの頭くらいあるかもしれない。
陽の煌きの下に魚影が見える。
僕とカインは一瞬顔を見合わせると、服を脱いで飛び込んだ。
水飛沫が盛大にあがる。
「きゃあ!」
「もう!こっちまで濡れちゃうわ」
女の子たちが抗議の声を上げる。
それを聞いてカインが拳を水面に打ち付ける。また飛沫があがった。
「やめてよ、本当に性格が悪いわね」
リズはそう言いながらも、カインの攻撃を躱すべくちゃっかり日傘をこちらに向けている。カインの行動を読んでいたようだ。
何だかんだ言いながら、カインとリズは僕より気があっているような気がする。
また軽い嫉妬を覚えた自分に嫌気が差して、ぶくんと潜ってみた。
見上げると光がちらちらと揺れる。
魚になった気分だ。
さっきの魚の群れを追ってみようかと水中に目を転じたが、派手に騒いだせいか姿は見えなかった。
ふと見るとカインと目があった。
水中で見つめ合う。
いつの間にか顔がすぐそばに来ていた。
カインの腕が僕の肩を抱き、うなじ辺りに唇の感触を覚えた気がしたところで息が切れ、ふたり同時に浮き上がった。
さっきのは気のせいだったのだろうか。確かめる勇気はない。
「リズ!無茶しないで!!」
ヴィクトリアの声で我に返るとなんとリズは水面から突き出た岩を渡って向こう側に渡ろうとしている。
斜面になっているそこに咲いている山百合を摘もうとしているらしい。
「リズ!花なら僕たちが摘むからお戻りよ!」
僕も叫んだが
「嫌よ!自分の手で摘みたいの。それにこれくらい平気よ!」
と耳を貸さない。
僕たちが見守る中、リズは結構身軽に斜面に到着し、無事お目当ての花を手にした。
最後の最後で足を滑らせ、靴とドレスの裾を濡らしたが、気にもとめず手にした花に満足気だ。
「お土産ができたわ」
「リズったら、本当に無茶なんだから…」
諌めるようにヴィクトリアは言うが、心中は僕と同じだろう。
リズは確かに向こう見ずだが自分の力を本能的に心得ているような気がする。
本当に危険なことはしないだろう。
何にも挑戦しないで自分に閉じこもっている僕らより、遥かに大人に感じる。
女将さんが持たせてくれたサンドウィッチと桃を食べ、日が暮れるまで遊んでから宿に帰った。
リズの摘んだ山百合は女将さんの手で生けられた。
女将さんの嬉しそうな顔を見て、リズは少し誇らしげだ。
次の朝、珍しくカインは起きてこなかった。
心配になって部屋を覗くと、ベッドにうつ伏せになった彼が見える。
「カイン!」
呼ぶとゆるりと顔を向ける。目が潤んで息が荒い。
発熱しているようだ。
僕は引き返して女将さんを呼んだ。
山の中の弱い光に油断したのだ。肌の弱いカインは昨日一日で日に焼け、挙句寝込んでしまった。
塗り薬を塗って寝ていれば治ると女将さんは言ったが、リズとヴィクトリアは自分たちが様子をみると立候補し、他に仕事のある女将さんの代わりに付きっきりで看病した。
カインは精一杯抵抗したが、熱のせいか弱々しい。
二人に押し切られて覚悟したのか、仏頂面のまま借りてきた猫のように大人しく「病人」になっていた。
僕まで傍にいるとカインが我慢しきれず起き出しかねないので、彼には気の毒だがまちの図書館に逃げ込むことにした。