最近、教育者のパワハラや暴力?生徒を叩くのは教育か?体罰か?の協議が賛否要論わかれていると思います


少し前に テミスについての講義をとある先生から受けました。

テミスとは、秩序や法律の言わば掟の神で 法に関わる機関や法学部や最高裁判所などには必ず象徴とされてかがげられているシンボル。

美しい女神の両手には、右手で剣を持ち、左手で天秤をもつ秩序や法律の神様です。そして、目を隠し、本を踏んでいます。

何故、法律や秩序の神が刀をもっているのでしょうか?何故目を隠し知識の泉となる辞書のような本を踏んでいるのでしょう?

天秤はバランスをとるもの。いわばルールの意味だそうです。
「秤なき剣は暴力。剣なき秤は無力」の現れだそうです。
欲を捨てすべてを平等に見る為に五感の中で最大の役割をする目を隠しています。そして過去の知識を得てさらに新しい発想、イノベーション的な意味で本を踏んでるのだそうです。
そして、女神たる美しいその姿は人々の芸術〈世の中〉の現れと言われています。

何千年も昔から理屈だけでは秩序や法律は成り立たない事を人々は知っていたようです。

歴史の中で我々人間の思考は一時的な変動はあっても石油が無くなっていくように、結局は昔に帰って行くものと個人的に思っています。

そこで教育に暴力は必要か?

暴力は絶対にいけません。

僕は個人的には愛のムチなら賛成です。

教育的に愛があれば叩いても良いと思います。
皆さんも親に一度くらいは叩かれた事があると思います。
その親を恨んでいますか?

親父にも毎日ぶん殴られていましたし、
僕も小学生時代から宿題を忘れて
30歳位の女の先生でしたがしょっちゅうビンタされてました。

高校時代も全国有数のスポーツ学校へ入り先輩や先生に叩かれない日がないくらい、ぶっ飛ばされました。

その後は今の今までぶん殴り合う仕事して。

しかし、そんな時代があったからこそ今があるのだと自分で感じているし、感謝しています。
親はもちろん先輩、先生を恨んでいませんし、当時の事を笑い話としてますし、今振り返ると当時の皆さんに感謝してます。

僕は極端なのはよくありませんけど愛のムチとして叩くのは有りだとおもっています。足りないのはその生徒に対する愛です。〈ハレンチではありません〉

今の世の中だって、掟に沿って僕らは生活しているし、だから美しいわけです。
破れば監禁されたり法の裁きを受け その力により 死刑だってあるわけですよね?
その中で人間同志愛があるから秩序を守ったり人間同志を大切にしたりしてるわけですよね?

法務ほど極端じゃなくても、教育も僕は同じ事だと思いますけど。