3月11日。



この日は決して忘れません。



去年の今日のあの衝撃は、誰の心にも、今までとは決定的に違う何かをもたらしたと思います。



この1年、それぞれが自分に出来る事を見つけ、探し、それをしてきたとも思います。



行き過ぎた物質主義や、雑誌やテレビから提案された【しあわせ】をそれだと思い込み、それがなければまるで幸せではないかのような勘違いが起き、朝のニュース番組を点ければ、目を覆いたくなるような悲惨なニュースのオンパレード。



そんなニュースを耳にする度に吐き気がするようになってしまい、いつしか私は朝のニュース番組や、情報番組を観なくなりました。



そして、いつか人類はこの責任をとらされると思っていました。




これほど物質的に豊かであり、満たされている国でありながら、自殺者があとをたたなかったり、世界から見ても生活水準が高い方だと思う日本という国に住みながら、幸せだと感じて暮らしている人が少ないという気がします。



だからこそ、目に見えないものこそが、これから大切になるのだと思ってきました。



精神が満たされなければ、いくら物質が豊かになろうとも、いつまで経っても人の心に平安は訪れません。



今日だけ神妙な顔をしても何も変わらないし、ただ思うだけでも何も変わりません。



毎日の自然の摂理に沿った心がけや、何を思い、何を行動に移すかがいちばん大切な気がします。



静岡と言う土地に住む私にとって、東日本大震災に被災者の方々の事は、同じ日本に住む人であると言う以上に決して他人事ではありません。



あの日の事を決して無駄にしてはならないと胸に刻みます。



多くの尊いかけがえのない命と、多くの方々のあたりまえの日常、何気ない日々の中のささやかな幸せを大切に大切に過ごされてきた思いと引き換えに人類が学ばせていただいた、教えていただいた、気付かせていただいた事を、絶対に、絶対に無駄にしてはなりません。



今こそ、日本人がもともと知っていた事を思い出し、【譲り合う精神】や、【分け合う精神】、【すべてを受け入れる】【自然から学ぶ】ことが必要な気がします。



そんなものを大切に、これからを生きると誓うことで、自分に出来る事はすべてすると誓うことで、


亡くなられた方々への追悼と、今もなお、想像も絶するような、どんな言葉を綴っても、実際に経験していない自分が書くのも失礼なほどの辛い思いの中でも生きてくださる被災者の皆様への感謝と致します。