今回は、永井荷風氏とゆかりの深い、旧玉の井周辺を探索します。
1987年に、東向島駅に改名されましたが、それまでは玉の井駅という名称でした。
このホームの下には、東武鉄道の車両などを展示している東武博物館があります。
駅を出て、線路沿いの東向島粋通りに沿って北東方向へ歩いてゆきます。
あれ?おおねこの診療になってますね(笑)
しばらく行くと線路沿いから、右手に分かれる道が、玉の井いろは通りです。
工場か何かの跡地でしょうか、ぽっかりと更地になっている所があります。
交番の少し先には、グルメシティというスーパーがあり、その前に、野菜や果物などの露店が出ています。
東南アジアの市場風の露店の奥に、お寺のような建物が見えるので、ちょっと入ってみます。
ん?日蓮宗って、仏教ですよね・・・なのに、お寺じゃなくて、教会?よくわかりません。
あ~、タワシでこすると、自分の悪いところが直るそうです。巣鴨のとげぬき地蔵にもそんなのがありますよね。
このお寺のような建物の壁には、玉の井とゆかりの深い、永井荷風氏の書いた随筆「寺じま記」の一節が掲示してありました。
その横には、永井荷風氏が玉の井に通いながら、丹念に作った手製の地図の写しも、貼ってありました。
この、姿勢の良い老人が永井荷風氏です。以前、雑司ヶ谷霊園の記事で、私が一番はじめに訪ねたお墓が、荷風さんのお墓でした(笑)
荷風さんは、小説の題材を得るため、玉の井に通ったり、浅草のロック座に出入りしたり、破天荒というか、異色の作家でした。
大学の教授もしていた荷風さんは、昭和27年には、なんと文化勲章を受章します。
この写真は、当時仲良くしていた、浅草ロック座の踊り子たちです。
踊り子たちは、ふだんから楽屋に出入りしてるオジサンが、エライ勲章をもらった事を喜んで、みんなで浅草の小料理屋で祝賀会を開いたそうです。
荷風さんが、昭和11年ごろに玉の井に通いつめ、当時つきあった遊女とのめぐり逢いを題材に、「濹東綺譚」という小説を書き上げました。
昭和35年、これが映画化されて、ヒロインのお雪役を、清純派の大女優、山本富士子が演じました。
遊女役という、初めての汚れ役を懸命に演じた結果、この映画を山本富士子の傑作として挙げる人は多いです。
私娼街玉の井を舞台に、小説家大江と、遊女お雪との、出逢いから別れまでを、詩情豊かに描いた作品です。
「濹東綺譚」は1992年にも、墨田ユキという新進女優を主役に映画化されました。
相手役は津川雅彦でした。
墨田ユキは、1987年、雨宮時空子(あめみやときこ)という芸名でAV女優としてデビューしました。
翌年、レースクィーンとして活動したのをきっかけに、本名の小松由紀子という名で、NHKの大河ドラマ「武田信玄」に出演を果たし、さらにNHKの「春日の局」にも出演しました。
1992年、「濹東綺譚」のオーディションに合格して、芸名を、役名のお雪にちなんで、墨田ユキにしたそうです。
光を放つ原石だったんですね。
墨田ユキは、この映画での演技を認められ、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、報知映画新人賞などを相次いで受賞しました。
AV女優からの転身で、映画女優として成功された稀有な人です。
その後、結婚されたそうですが、またスクリーンで、大胆かつ繊細な演技を見せてほしいです。
もう少し、私についてきてください(笑)