救助隊員の闘病日記~復活までの道のり~

救助隊員の闘病日記~復活までの道のり~

消防署救助隊員として日夜業務にあたっていました。
2012年4月T細胞性リンパ芽球性リンパ腫/白血病発症。
Hyper-CVAD,MTX/Ara-C療法で寛解。
維持療法残すところあと1クールという2012年10月再発。
必ずや職場復帰する事を誓い、移植を含めた更に厳しい治療に挑みます!



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marusukeの妻です。
夫は4月30日家族が見守るなか永眠いたしました。

13ヵ月の闘病生活を応援してくださったり
励ましてくれた皆様
本当にありがとうございました。

夫は最後まで治る事だけを信じ、
成功率が未知な再発後の非寛解時移植へふみきり
最後まで闘いぬきました。

移植後、苦しい後遺症はあるものの
経過は順調に過ぎているかと思っていた矢先の3月27日
病気の細胞が見つかりました。


治る事だけを希望に一年不安と闘う夫に

主治医から私だけに告げられた
今の医学ではご主人にに出来る事はもうない。
残された時間は1から2週間。

と、いう残酷な現実を夫はに告げる事ができませんでした。
告げるべきか毎日悩みました。

幼い子供たちに何か残したいかもしれない。
けれど、一年も不安や辛い想いをしてきたのに
それ以上に辛い現実や恐怖感をさらに夫に感じて欲しくない
と、いう私のエゴで最後まで告げる事ができませんでした。

今でもそれで良かったのか、伝えるべきだったのか悩み後悔の毎日です。


結婚記念日も、誕生日も迎えられないと思っていましたが、
主治医も驚く生命力でした。

夫が旅立つ間際
治ってから会うと約束していた仲間にきてもらい
声をかけてもらうと、起きあがり声をだしました。

とっくにそんな力などないはずなのに。

最後の最後まで夫は闘いぬきました。
息子たちの成長は一緒に過ごすことは出来ませんてましたが
最後まで信念を貫き、強い父としての生きざまを残してくれました。

あんなに私たち家族が一年も闘い何度も泣き憎かったがん細胞が
夫の死によりなんにもなくなるなんて。

叩いても叩いても叩き続けたのに無くならなかったのに
こんなにあっけなく、何事も無かったようになるなるなんて。

こんな想いはもう誰にもして欲しくない。


医学は必ず進歩しています。
同じ病気で闘っている方にはこの記事でさらなる不安を抱かせてしまったかもしれません。
すみません。

治療方針はさまざまです。
夫の想いは必ず皆さんにも届きます。
一番この病気を憎んでいましたから。

毎日病院で会っていたため、
今も病院で待っているんじゃないかと思ってしまいます。
でも、夫はきっと生き甲斐だった救助隊としてまた訓練しているはず。
早く復帰して、また体作らないと!
が、口癖でした。

身に付けていた救助隊服と一緒にみおくりました。
たくさんの仲間に見送っていただきました。


夫を支えてくれた皆様に感謝いたします。
こんな形での更新となってしまい申し訳ありません。



夫が欠かさず購読していた消防雑誌を真似て
メッセージボードを作りました。
息子たちと同じ場所では写真撮ることは出来なかったので、合成しました。
息子たちにとっても御守りとなってもらえたらいいな...



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