ファッション・マーケティング執筆のベースにある怒りみたいな・・・ | 咲くLOVE会@驚く未来へpart 3

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こんにちは!巨人と三宅一生の大ファン、ココ・シャネルを尊敬し、マスコミを信じる運動不足人間と甘いものは苦手。そんな私は2021年4月、人生のフィナーレ舞台を開始します。

  昨日東洋大学は推薦入試でした。私が所属するマーケティング学科を希望した、付属高校以外の受験者に、私が担当する授業 【ファッション・マーケティング】を学びたいから、と、面接で志望動機を述べた高校生が圧倒的に多かったそうで・・・このブログ、さぼっていたのですが、右下の方のフリースペースに、そのテキストにも用いる本の概要を少しずつ書いていこうと思いました。


 最初は、10章最後から。最後にとりあげた三宅一生のこういう言葉が、日本の、ファッションンの流通業(制度)に対する私の怒りみたいなものに油を注いだ気がします。だれもプライドもてない楽しめないファッションを商品として「売る」ためだけでは、どうしょもないじゃないか?


   さらに20世紀の最後に三宅の次のような考え(悩み)が伝えられた。「デザイナーはトレンドの商業化が仕事だが、トレンドまみれでは存在意義が薄れる。マーチャンダイザーやマーケターに成り果てることはプライドも許さない。かといって、自分の世界を純粋に表現するだけの芸術家とも異なる。理想のプロダクト・デザイナーとしてモノ作りの座標軸をどこに置くのか・・・・・

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