神戸市灘区一王山町。

高校を卒業をした私が、初めて親元を離れ、ひとりである意味、勝手気ままに暮らしはじめた場所の地名です。

1992年のこと。

6畳ひと間、台所はあるもののトイレは共同、お風呂は銭湯通いという木造アパートで、家賃はたしか2万円だったと記憶しています。

洗濯機も屋外に置くような、築数十年という建物でした。


そこで暮らしはじめてから3年。

1995年の今日、5時46分、私にとっては忘れてはいけない「時」が訪れました。

2012年の今日と同じ火曜日です。


小学生のわが家の娘たちにとっては、もうすでに教科書のなかの歴史のひとコマになってしまっていますが、「阪神・淡路大震災」。

それは同時に、高校時代からの同級生で、当時、私が住むアパートから自転車で10分と離れていない場所に暮らしていたHくんの命日になってしまった日でもありました。

正直なところ、今でも時々、私よりHくんが生きていたほうが社会の役に立つことが多かったのではないか…と思うこともあります。

と同時に、あれだけの惨事のなかで私に生きる道が与えられたということは、生きることの意味をもう一度しっかりと見つめ直すようにと、天から宿題を与えられたということだったのかもしれないとも思うこともよくあります。

誕生日、元日、結婚記念日…、みなさん記念日など節目となる日があるのではないでしょうか。


私にとって、「生」をいただき、「生」を続けさせていただいていることの意味を、あらためて自分自身に見つめなければならないと感じるのが、自身の誕生日とともに、1995年以来、この1月17日になったのでした。


われ思う、「今」を生きることができ、まわりの多くの方々から支えてもらうことができている「今」に感謝、だと。


そして、この場をお借りして、Hくんにあらためて合掌。


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あの日の神戸も、よく晴れていたのではなかったでしょうか。