安易な手法に対する警鐘


比較試験の結果、両者に差がなかったのは酒質であって、米そのものではないことである。

米の物理的、化学的性質にはかなりの差があり、また途中の経過にも幾分の差が見られた。しかしその差が酒質に結びつかないのである。・・・


米の差をはっきりと出させるためには、現在のような荒っぽい造りではなく、もっとキメの細かい、つまり、条件が少しでも変化すればそれに応じて結果がすぐ変わるような酒造りが必要である。

(酒造好適米  野白 喜久雄  醸協Vol59 No7 1964)

(※太字化は僕がしました)


酒造好適米と一般米を比較するために行った実験で、「有意の差がない」という結果が出たことに対する、野白氏のコメントです。


この中で、氏は立場上はっきりとはいっていませんが、「現在のような荒っぽい造り」という表現で「大量のアルコール添加を前提とした造り」を指摘しています。

つまり、原料の米そのものには明らかに差はあり、酒造りの段階でも差は見られたが、搾った酒に差が出なかったのは、大量のアルコール添加で、その差が薄められたためであるといいたいのです。


何度も指摘してきたように、このころ醸造試験所では、技術者たちが競って「日本酒造りの合理化(省力化)、機械化、大量生産化」のための実験を行っています。

その結果、この酒造好適米のように、有意差が出ないからとして、多くの伝統的な技術を「無駄だ」と切り捨てました。


野白氏のこの記事は、「雑な試験のやり方で、安易に結果を出す」手法に警鐘を鳴らしたのです。