この日も快晴やしの木シャツ一枚でちょうど良い季節です。

貸し切り状態の朝風呂にざぶーんと入り、山の澄み切った空気を吸いながら、清々しい朝のはじまり。


そういえば夜は前の田んぼからカエルだかコロコロ声が聞聴こえていました。


ちなみに、今回のお宿、お部屋も新しいようでとっても綺麗でした。満足満足。


お宿を8時半頃に出発。


●春日山城址ものがたり館

上杉謙信や春日山城に関するちょっとした展示館です。



そこからすぐのところに

●春日神社
越後守護上杉氏の氏神にあたるそうです。
春日山城を築城したときに鬼門神(北東)として、春日山の山頂から遷座しました。

まぁ、誰もいないですね。

●春日山城跡
南北朝時代に築城されたといわれ、その城を堅固な構えにしたのが、長尾為景といいます。その末子が上杉謙信です。

謙信は7歳のときに林泉寺に入り、厳しく文武の修行をしてきました。
元服して、長尾景虎と名乗り、越後守護代になりました。

有名な武田信玄との川中島の戦いは、五度もありましたが、結局は決着せず、しかも、その最中に、信玄の民が苦しんでいることを知り、塩を送ったといいます。(敵に塩を送る、の語源ですね)

こういうところが、私は大好きです。
それと、独身を貫いたところも照れ
きっとモテたでしょうねぇラブラブ


写真の階段を上がったところに、春日山神社があります。
(でも私たちは右手から緩やかな山道にて登った)


ちなみに、謙信の亡き後、景勝と景虎の養子二人による跡目争いとなります(結果、景勝が家督を継ぐ)

春日山城は、景勝の会津移封に伴い、堀秀治に引き継がれましたが、福島城を新築して移ったため、城としての使命を終えました。

一応、城址をくるっと歩いてきました。程々の山登りです。標高180m。

その道中、毘沙門堂。
信心深い(←ここも好きポイントラブラブ)謙信は、とくに毘沙門を信仰し、出陣前に祈願した場所です。(昭和6年復元)


山頂から。

山を下ると、謙信公銅像がお迎え。
かっこいいですねぇ。
銅像は、昭和44年大河ドラマ『天と地と』の放映の折に建立されたようです。

↓左奥が城跡。

その後、車で移動。

●上越市埋蔵文化財センター
無料で謙信や城について学べる施設です。ありがたいです。
入口に、上杉おもてなし武将隊がいて、『後で写真でも一緒にとってあげようかな〜』と思っていたら、帰りにはもういなくなっていました笑い泣き


本日のメインも終え、上越あるるん村にて、笹だんごや椎茸のお土産を購入したあと、

休憩に立ち寄った(行きも寄った)のは、

●道の駅まつだいふるさと会館
暑かったのと、パッケージに惹かれて、
奮発280円でモナカ購入ラブたまにはね。
米粒も入っていたし、アイスクリームも美味しかったですよ。おすすめです。


時間に余裕があったため、
●直江兼続公伝世館
直江兼続の使っていた軍扇や当時の裃がありました。


こちらも裏手は公園になっており、桜まつり。

『喜平次と与六』像。景勝、兼続の幼名です。
平成21年大河ドラマ『天地人』を記念して造られたものです。

この像の裏に、『越後の足利学校と呼ばれ…』という文章があり、『そんなに有名なのかねぇ爆笑』と
母と笑っていたら、隣にいた年配夫婦も『足利学校だってさ(ハハハー泣き笑い)』と。

なんと、足利市にお住まいの御夫婦びっくり
こんなこともあるもんだ。
『次は足利市でお会いしましょう』と言われて、別れました。(きっとすれ違っても分からないだろう)

奥に見える山は、坂戸城跡です。
築城は、長尾房長。
房長の子である政景の妻は、謙信の姉。
子どもに、後に謙信の養子となる景勝がいます。

赤信号で、車窓から偶然にも撮影できた
●お六と桂姫の銅像
直江兼続が、結ばれなかった桂姫との淡い恋物語を偲んで建立されたそうです。


そして、帰宅は17時半頃。
ほぼ父のしおり通りです。

今回は、歴史と桜の旅となりました照れ
旅行できる健康な身体に感謝、
有休が取れる会社と仲間に感謝、
お天気にも、開花恵まれたことに感謝、、、ですね。

パパ、ツアー企画お疲れさまでした。
ママ、運転お疲れさまでした。

追伸、私も上越の田舎道を結構運転できました!
自信になりました歩く

そして、これからは、
思い入れのある長岡に加えて上越にも、
ふるさと納税の寄付をしようと思いました照れ