自殺・・自分を殺す事。自分の存在を無くす事・・ | 早紀のブログ

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自殺等・・やいのやいの言われています。

私は実の親に殺されそうになった体験もあります。

昨年、知り合いの旦那が会社の近くで自殺をした。

知り合いは狂ったように叫んだ。

返して!夫を返して!

そして、自分を責めた。

その旦那さんは聴覚障害者に理解がある優しくて真面目な人だった。

奥さんである知り合いの方はお母さんが倒れ、姉が手術という大変な時期だった。

奥さんにこれ以上心労をかけたくないと自分の中で抱え込んでしまったのだろう・・

突然糸が切れてしまったのだろう・・

残された人の事も考える事が出来なかったのだろう・・


私の友達が下記の通り書いた言葉を目を閉じて心で読んで欲しい↓


はじめに。
ここで書くことは、問題の解決として安直に「自殺」という手段を選択することに対する私の考えです。

鬱病や統合失調症といった病気による自殺願望に苦しむ人に対して書いたものではありません。
病気が原因の自殺願望を本人がコントロールすることは限りなく難しく、
それと本人の意思の強さは無関係です。
そういう病気で苦しむ人を非難するために書いたものではないことをご理解ください。

ただし、そう前置きしていても、読んで不快になる可能性があると思いますので、
読むか読まないかは、ご自身の責任で判断してください。

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死ぬかもしれないと思ったことは数え切れないほどある。
でも、死にたいと思ったことは一度もない。

普通の人が普通に生きていて、
死ぬか生きるかの状況に直面することは、そう多くはない。

つまり、普通の生活を送っている人には、
自分の何倍もの体重がある巨漢に首を絞められたり、
本気で風呂に沈められたり、
真冬に裸で一晩外ですごしたり、

そんな経験をしたことのある人は、滅多にいないものだ。

それなのに。
死に直面するということがどういうことかも知らないくせに。

死ねば楽になると考えて睡眠薬を買ってみたり。
混ぜるな危険を混ぜてみたり。
練炭火鉢もってドライブしたり。
ついでに一人じゃ淋しいからと、ネットで仲間を募ってみたりする。

でもね。
一度でも、自分の意に反して死に直面したことがある人は、
「死ねば楽になる」なんて思いはしない。

死にたいなんて軽々しく言える奴は、
今生きてることがどれだけ有り難いことかに気付いていない。

生きてく辛さ?
人生の意味?
自分には価値がない?

死んでしまえばただの死体だ。
生きている人間はただそれだけで、死んだ身体より価値がある。

生きる目的が見つからないなんてさ。
じゃぁ、もし今、殺されそうになったら、
誰かに首を絞められた時に、
水の中に力付くで沈められた時に、
あなたは自分の人生に目的があるかを考えて、抵抗しようかやめようか悩むのか?

「人生の意味」なんてくだらない。
そんなもの、自分の当面の身の安全が保証されていてはじめて考える贅沢な悩みだ。

本当に死の恐怖を目前に感じた人は、自分が生きる意味なんて考えない。
ただ、今、生きていることを実感する。

ぬくぬくとした部屋で教師が語る命の尊さや人生の意味や生きがいや、
そんなの知ったこっちゃないけれど。
私は毎日、ただ死なないためだけに必死で生きてきた。

死んだら死んだで仕方ないと思っていた。
そこまで執着して生きるほど、楽しい子供時代でもなかったし。

でも、死にたいと思ったことは一度もない。
死ぬ時は、自分の力じゃどうしようもなく命尽きる時だ。
だから、生きている限りは死なないと決めた。

私は、たとえどんなに失敗しても、自分の人生には価値があると信じてる。
どんなに自分が嫌いでも、
自分の中に流れる血を呪っても、
生きている、ただそれだけで、私には価値がある。

だから、自分の力じゃどうしようもないところで自分の命が尽きるまで、
地を這ってでも、私は生きてやる。

親がどんな人間であろうと、子供は自分の力で生きていくのだと。
どんな辛い過去があろうと、人は必ずまた笑えるようになるのだと。

自分が楽しいとさえ思っていれば、不幸な人生なんかないんだと。

そう、証明するために。