雑賀地区には、2つの神社があります。
今回は、そのうちのひとつ地区の氏神さとして「めつきさん」・「みつきさん」の愛称で親しまれており、また安産の神様として知られている売豆紀(めづき)神社の紹介です
売豆紀神社は、国道9号線の売豆紀交差点より南へ約400Mのところにあります。
神社付近は、松江藩の支藩広瀬藩三万石を結ぶ要所「売豆紀坂」といわれ、松江・古志原・八雲・広瀬を結ぶ最短ルート(広瀬往還)でした。
松江開府の堀尾吉晴が広瀬富田城から松江城へ移るときにもこのルートが利用されています。
【沿革】
売豆紀は、比売伊豆紀のことで姫神を奉る社です。
「延喜式神名帳 」に売豆紀神社とあり、また「出雲風土記 」の意宇郡の項で、熊野大社(八雲町)・夜麻佐社(山狭神社 広瀬町下山狭)のつぎの三番目に「賣豆貴社」として記されています。
もともとは、西津田町字目つき(現在の西津田五丁目付近。字前田の一部。広島大学所蔵の寛文12年(1672)壬子年、意宇郡津田村御検地田方によれば、前田の次に「目津き」の地名があるといことからこの地にあったと推測)にあったとされ、元神殿の位置、および当時の社家であった売豆紀家が、その付近に今でもあり、寛文7年(1667)に現在地へ遷座されるまでの約1千年くらいの間は西津田町目つきに鎮座されていたものと思われます。
古来より朝廷の尊崇が厚く、「日本三代実録
」によれば、清和天皇貞観7年(865)10月、朝廷より従五位下の神階が下され、重ねて同13年(871)11月正五位下に昇叙になっています。当時の神階下付の神社は、熊野大社、出雲(杵築)大社、佐太神社、能義神社、揖屋神社など出雲国所在の299社中屈指の程度で、いかに当時朝廷より重要視されていた神社であったことがうかがえます。
【主祭神】
下照比売命(高比売命) シタテルヒメノミコト
大国主神と多紀理毘売命の娘で、阿遅金且高日子根神(アヂスキタカヒコネ)の妹。天津国玉神(アマツクニタマヤノカミ)の息子・天若日子(アメノワカヒコ)の妻。
【主祭神御神徳】
安産・病気平癒の守護神として著名です。松江藩第3代藩主・松平綱近ご内室懐妊のおり、ご霊験を受けられ代々御神徳により世継を授かりました。
また、城下悪病流行のとき、退散の祈願をされ御神徳を受けました。
以後、一般の女性の懐妊、悪病流行の際には大神の加護を受けようとして御神徳を仰ぐものが今でも多い。
【合殿神】
伊勢宮(御祭神:天照大御神・豊受大御神・倭媛命)
松平直政公が、大坂在陣の時に伊勢神宮に戦勝を祈願され、戦功あってその後、信濃松本7万石から出雲松江18万6千石に移封された。寛永21年(1644)報謝のため伊勢神宮の御分霊をいただかれ「伊勢宮」を創建されました。(現在の伊勢宮町)
しかし、明治7年(1874)雑賀町大火の際に延焼し、明治10年(1877)、いったん雑賀町本丁に移転造営、次いで明治32年(1899)に売豆紀神社に合殿となりました。
【合祭神】
大山昨命・木花之佐久夜比売命
大山昨命は、山頂の境界である杙(くい)の神霊です。
木花之佐久夜比売命は、木の花の咲き匂うという意味です。大山津見神の娘で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻。火照命(海幸彦)・火遠理命(山幸彦)の母親でもあり、ともに酒造りの神様です。
明治7年(1874)、松江の酒造家が奉斎したもの。
子宝いぬ
自分の干支の前に立ち、親子いぬを撫でて安産・無事成長・子授けを祈念してください。
病気平癒・諸災祓除の唐獅子灯篭
祈願時には銀紙を貼り、成就時には金紙を貼って報謝する習わしがあるそうです。
松江藩においては一円の病気施行の折大神から病気平癒の御神徳に与かったと書いてあります。
安産の神様だけあって境内の絵馬は、「元気な赤ちゃんが産まれますように」という絵馬が目立ちます。
◆住所:松江市雑賀町1663
◆参考文献・・・『雑賀の今昔』(雑賀郷土史編纂実行委員会 1991年)
『雑賀の今昔 寺社編』(雑賀の今昔寺社編編集員会 2000年)
『津田・古志原郷土誌』(津田・古志原郷土誌執筆専門委員会 1982年)
いつも応援ありがとうございます。
よろしければクリックをお願いします。
◆3つのうちどれでもかまいません。
コメントもお待ちしております。