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母は旅立ちました~娘のつぶやき~

スキルス性胃がんが見つかってから、約1年4カ月。抗がん剤治療を止めて、緩和ケア病棟に入院していた母は旅立ちました。母大好きなアラフォー娘のつぶやきです。

母の抗がん剤治療は、手術後(胃はとれなかったけど)体が回復

してきたときからスタート。


とりあえず1年間、と先生には言われていた・・・

だから母は1年耐えて治したい!!という思いでがんばった。


最初の半年間→入院して点滴+TS1

次の半年間→TS1のみ


これを予定通り行った。


途中、何度も白血球の数値が下がり、注射を打ちに通った。


そして!!

自宅の階段(1番上)から落ちて、肩の骨にひびが入り2週間の

入院をした((((((ノ゚⊿゚)ノ


これには本当に驚いたし、頭も強打しており、記憶がとびとび

だったり、さっきのことをすぐ忘れたり、でとても心配したなぁ。。

でも、ちょうど休薬期間がかぶっていたりして、抗がん剤治療には

それほど影響はなかった。



1年間、と思ってがんばってきた抗がん剤治療。

もうすぐ1年!ってときに定期検査でお腹に水が溜まっている

と言われた。

母は、3週間ほどで退院した。



結局、すでに手術ができない状態(腹膜へ多数転移)

で完治は難しいが、進行を遅らせる、という意味での

「抗がん剤治療」をすることにした・・・


母に「ありのままを話す」と決めていたけれど・・・

先生もわたしたちも「完治しないだろう」ということは

一切母には言っていない。



隠したというより、母自身も手術できない状態だったと

いうことは「完治は難しいかな」と思うだろうと思ったから。


だけど、後々母と話しているとその考えは違っていたこと

に気がついた・・


母は、完治することを目標に「抗がん剤治療」をしていた。



わたしは、なんでもありのままに母に話してきたと思う。

でも、このことだけは言えなかったし、言わなくてよかった

なぁと思う・・・言っていたら抗がん剤治療をもっと早くに

やめていたのかなぁ。。。



母が「完治は難しい」と自分で気がついたのは、1年後

のことだった。


今日は更新回数多いです(^▽^;)



母のいまのブームは「カレー」らしい。


少量しか食べられませんが、

「カレー味が食べたい!作ったらわけてね~」

といつもメールしてきます(笑)今日もまた・・



明日はカレーを作って持って行くよ~と伝えると

「待ってまーす(^~^)」と返事がきた。



もうひとつは「ケンタッキーフライドチキン」(笑)


大丈夫?!と思うけど、土曜日に持って行ったら

小さいのだけど、1個完食(^人^)

おいしい~♪と喜んでおりました。



ここの前の病院でお腹に水が溜まり入院し、

抜いてもらったものの、ものすごくしんどくて

何も食べられない状態だったんだけど・・・



こちらに転院してきて、お友達と楽しく話したり

趣味をまた始めたりと、いろんなことが

母を元気にしてくれて、食欲も少しは出ている

のかな:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



お友達や母のいとこ、お姉さん、兄嫁さん、

父、わたし家族、兄家族、誰かしら病室で

母とおしゃべりして笑っている。


母はまったく横にならず、ずっとフツーにしゃべっ

てます。母の笑顔がみんなの元気の源!!



父がこの前ポツリと

「調子が狂うわ・・・苦笑」と言ってたけれど

いろんな思いを乗り越えて今があるんだもん。



母との大切な時間、大事に過ごしたいです☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*