声で佐賀競馬の手綱をとる男!! | 九州競馬史blog

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九州競馬史blog 平成17年2月27日より開設

九州競馬の歴史を探るブログ。

また取材に行ってきました

今回の取材は難しいだろうと半ばあきらめていましたが

広報、後藤さんに協力していただき実現できました

鳥栖市、某居酒屋にて

今回、お会いしたのは

誰もが聞くあの声の方です



佐賀競馬実況

中島 英峰アナウンサー

声で佐賀競馬の魅力を伝える

それは、私の考えていた以上に深く、難しい


3.18(土)18:30

某居酒屋にて中島アナ、後藤さん、私で雑談を含め

いろいろと伺ってみました


中島アナは、お住まいは広島県で、佐賀競馬にはいつも出張で来られているよう

福山競馬に佐賀競馬の実況をこなす


 

 まずはやはりなぜ競馬実況の世界に?の問いに

もともと幼少の頃から、

競馬にどっぷりはまってとかそんな答えを

想像してたが意外にも

中島アナの親父さんがされてた会社の仕事をするようになったから と


そう、親父さんの後を継ぎ、

お兄さんが社長で

兄弟で会社を引き継いでいるよう


そこで、まず福山競馬の方から実況の話があり

お兄さんが福山競馬の実況を始められたそう

そしてお兄さんの後、福山競馬の実況をはじめられたのが

競馬実況の原点のようです


特に、アナウンサーの養成学校に通ったわけでもないんですよと

幼い頃から、親父さんのしゃべる仕事を見てきているから

なんとなくどうすればいいのかどんな仕事なのかわかってたんです


でも、なんとかなりましたが

始めた頃は苦難の連続でしたと

自分で実況しているのを録音してて

後で聞くんですけど

これじゃ、お客さんに聞いてもらえないなと思ったんです

それから、とにかく必死で勉強しましたと

だから、最初のレースの馬や思い出の馬なんか

いまでは思い出せないんですよ

それだけ必死だったから

悩んで、成長し、また悩んで成長し

その繰り返しなんですと

いまでも、試行錯誤の日々ですよと


日々の鍛錬が今の中島アナにつながってるんですね


若干話はもどりまして

佐賀競馬の実況を始めたのは、

福山競馬をはじめて2.3年の頃のようです

福山をされてる頃は

お兄さんが佐賀競馬の実況をされてたようです


30歳で福山の実況をはじめられているので

32.3歳から佐賀競馬の実況で

現在、50歳になられているよう

実況歴20年、佐賀競馬実況も17.8年ですね


お話を伺うにつれて中島アナの仕事に対するプロ意識の高さに脱帽でした

私、自身まだ社会経験の短い年齢です

よく、プロとしてとは会社でも聞きます

それを実行しきれていない自分

思い直す部分も今回のお話でかなりありました・・

だからこそミスを許さないんですよと

たまに噛んだり、訂正できる範囲でのミスはありますけど

大きなミスは、めったにありませんと

1年に1回か3年に2回ぐらいでしょうか


私自身、7.8年佐賀競馬に通ってますが

聞いたことはないです

たまに噛んだりといわれてましたが

聞いててもわからないなぁ

とにかく、事前に調べ、ミスしないよう細心の注意をする

苦笑いしながら

だから、自分がキツイいんですよと


理想は

聞いてもらって

「お客さんにうんそうそう、その通り」と言ってもらう実況なんです


その為には、自身をそういう状態にもっていかないと

そんな実況はできないんでしょう

下調べについても

後藤さんが

佐賀競馬側から提供する資料意外のことも

よく実況の中に取り入れられてるのでびっくりしますと

おっしゃられてました


私の想像する以上に勉強し、お客さんに納得してもらう実況をされてるんですね

それがあるからこそ佐賀競馬のカラーと言われるぐらいの名実況ができるわけです


中島アナの実況する上で大切にしている言葉は


成り行きは静かに

駆け引きは巧みに

攻防は強く

勝敗は熱く


起承転結
この言葉に集約されてますね

名言!!


あっ

名言と言えば

今年も佐賀記念で飛び出した

中島アナの代名詞


栄光まで152m-

栄光まで○○○m-は、誰もが期待している言葉

今年は、何メートルだろうかなんて

重賞前ファンは予想する

そんな競馬場佐賀だけですね


その名言について伺ってみた

あの言葉は、実況やってて

なにも考えず、自然と出たんです

言ったら反応がよかったんで言うようになったんですよと

あれは、でも嘘じゃないですよ

長年してますから

最終曲がってどこまで喋ったら

どこぐらいに馬がきて

残り何メートルかぐらいわかってないと

実況はできないんです

後続の馬を喋ってたら先頭の馬がゴールしてしまってた

なんてことがあったら大変ですしと


あの名言は今日は言うぞと決めて

言える場面があれば言うようです

接戦であれば当然言わないですしと


話は変わり

思い出の馬は?の問いに

ローゼンホーマですかねと


楠賞・全日本アラブ優駿(86年)を無配の13連勝で制し

福山大賞典を連覇(87~88年)するなど

福山競馬史に燦然たる成績を打ち立てた

伝説の名馬

参考:地方競馬に行こう! さん福山けいばにLets go さん


この馬の活躍は、仕事とは関係なくうれしかったと

特に87年の全日本アラブ大賞典を勝ったのはうれしかったよう

現在、福山競馬にてローゼンホーマ里帰りの企画あってますね

今日、21日までです

中島アナは20.21日福山の実況でいくようで

ローゼンホーマを見れるのをかなり楽しみにされてました



中島アナは福山競馬も含め実況をされてるので

アラブにかなり熱い思いがあるよう

アラブは狭い世界のなかで馬が循環していくので

わかりやすいんですよ

血統を見ればだいたいわかりますと

他にもカモイケタイガー、ハクコウハヤト、グレートマルゼン

ミスターカミサマ(現在は地全協の教養センター)、ニホンカイユーノス

他たくさん出ました
ありがとうございます後に調べあげてこの記事にアップします


アラブが今、確実に衰退している

中島アナは、どこか寂しそうにアラブの話をされる印象が残った

佐賀競馬もキングダイオーが荒尾へ去り

約700頭いる馬のなかにアラブは現在1頭もいません



思い出のレースは?の問いに

やはり

リンデンニシキが勝ったあの交流2年目

開設記念1996年6.30日

1着 リンデンニシキ 2着 グリーンサンダー 3着 キングオブザロード

鮮やかに逃げ切りを演じた川野幸治騎手とリンデンニシキ

早すぎたガッツポーズが話題だった開設記念

翌年、これが悔しかったらしくグリーンサンダーがまた来て

開設記念を勝っていきました


このレースは、本当にうれしかったよう

佐賀競馬の名レースですね

人々が熱狂したレース

オンデマンドが始まったことですし、後藤さんに

このレースの映像をオンデマンドやヤフーので

見れるようにしていただけないですかとお願いしてみた。。

映像が残ってるかなぁ・・と言われてたので

んぅ・・

残っていれば可能なのか。。とほのかな可能性を秘め、ちょっと期待<(_ _)>


もう一レース

西日本地区招待第9回アラブ大賞典オープン

このレースで中島アナは

岩田は古川の背中が見えているのかぁ~~

と実況で叫んだそうです

そしたら、大差あったのにフクヨシオーを交わしたという

このレースはよく覚えてらっしゃるようです


最後に、中島アナは新人のアナウンサーに

どのようにして実況をしていけばいいのかと聞かれたそう

中島アナは

物事は点で捉え なさいと点はすなわち馬番号

その点を次は線で結ぶ

線で結んだらつぎは

一列だけでなく内、外にも馬がいるわけだから

面で捉える

そして、それを立体にする。そう、馬番号から馬へなる時

立体になったら今度は、空間で捉える。その場の攻防でしょうか

空間の後はその日の空気で捉える

空気で捉えたら、その騎手のバイオリズム、馬の経緯

過去から現在に至るまでを把握し

実況につなげる


最後に行きつくのは

「お客さんにうんそうそう、その通り」と言ってもらう実況なのでしょうね

中島アナは現在50歳です

現役は声の続く限りしますと言っていただけました



まだ、すべて書ききれてないですが

思い出し次第、この記事に追記をしていきます

今回の取材を通し

中島アナの印象は、仕事に対するプロ意識の高さに

仕事を離れたら気さくで

個人の自分にも会っていただける優しい方でした

ちょいと緊張気味の自分を気遣っていただきありがとうございました


また、佐賀競馬、広報の後藤さんには、

たびたびなご無理を快く受けていただきありがとうございます

川田厩舎訪問や中島アナの取材ができたのも後藤さんのおかげです

ありがとうございます


また、次なる取材の際はよろしくお願い致します


佐賀競馬のカラーとまで言われる名実況は

ミスを許さない、日々の努力により生まれている

唯一、声で佐賀競馬の魅力を伝えれる人

そんな、さがけいばがやはり好きです


古き良き時代の草競馬

ずっと存続してほしい






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名詞を頂ました。。ありがとうございました

大切にします<(_ _)>