「やる気が出ない」という言葉、まるでどこかのサプリのキャッチフレーズのようによく聞きますが、正しくは「やりたくない」ではないでしょうか?

 

思うとまじめに生きる大人たちは、日頃「やらなきゃいけない」ということで、たくさんのことをこなしています。ですから、それは必ずしもやりたいことではない可能性が高いです。それをこなしてきたという事実こそが、「すごい」ことだったんです。

 

それをこなしながら同時に、インナーチャイルドは「えっ!また〜!」って、自分のしたいことから引き離されてきました。

 

思うと私は子供の頃とても健康で、熱の出ない子だったんです。熱が出なければ休めなかったので、学校を休んだ記憶がないんです。(今もですが)おそらく皆無ではないかもしれませんが、皆勤賞ものだった年はたくさんあったと思います。そういう時、子供ながらに何か体内や心の中に変化があって「学校行きたくない」と言っていたと思うんです。でも母はいつも熱を測り、「37度ないから学校行きなさい。」と言います。本当に行きたくなかったことがたくさんありました。熱はなかったけれど、何かがあったと今は思います。

 

何かをやりたくないというのは、本当にやりたくないからやる気にならない、というのと、私の子供の頃のように、熱はなくても何か体や心に変化が起きていて、動きたくないというのとあると思うんです。昔は、具合悪くても休むことをしない人たちが結構いた時代でした。だから熱のない子を休ませないは、母としてごく当たり前のことだったと思います。心の健康というものを考える余裕も社会的になかった時代ですし。

 

やりたくなくなるは、自分を抑えて毎日生活してきて、でも心からやりたくないという状態が起きた時、人も自分も「なまけもの!」と叱ったりします。世の中にやはり本当の意味で「なまけもの」はいないと思います。やりたくないことをやらないでいる状態をそう呼ぶだけで、もうそう言う言葉を使うことなくしてもいいんではないでしょうか。体だけでなく、心の健康を保つために、やりたいことを自分にやらせてあげるようにしてはどうでしょうか。「なまけもの」と自分を呼ぶことは心の健康を損なわせます。

 

そんなこと言っていたら、やらなきゃいけない家事はどうするの?って、思う人もいるかもしれませんね。私の場合、不思議とやりたくない時にやらないでいると、なぜかやりたくなる時が来るんです。私は洗濯が面倒で一月に一回くらいしかしません。でもある日突然やりたいと思うんですね。それが来なければ、自分のインナーチャイルドと交渉して、やりたいことをまずさせてあげて、それをしたらやってね!って約束してもらってます。これも非常に有効です。とにかく自分を「なまけもの」なんて呼ぶようなことはしないでいるのが大事です。しつこいようですが、今までみなさま我慢強く、やりたくないことを自分にさせてきたんです。そういう中でき上がった言葉が「なまけもの」ですから、「我慢強い人」になれない時に使う言葉です。我慢強さ(過度な)は現在は心にも体にも健康によくないと知られていますね。

 

おまけに言いますと、我慢するのではなくて、好きなことをとことんやっている人の作り出すものに、我慢してやっている人の結果は追いつきません。好きなことをやっていると、人から見たら一生懸命にやっているように見えるので、それを我慢強く努力しているなんて言われたりするんです。でも何かすばらしいものを作り出すためには我慢ではなくて、情熱がないとでき上がりません。

 

ついでにもう一つ。好きなことを自分にさせてあげませんか。好きと言う気持ちは、今世やりにきたことを思い出すために持たされた気持ちです。

 

これからは、「なまけもの」という言葉がなくなる時代にしませんか?

 

写真: ちょっと見、どこかのサファリみたいな夕焼けじゃありません? ワードウェアハウス跡です!