今週末から2つ面接があります。
 昨日面接日時が決まり、あわてて交通機関を探していますが、希望通りのものは年末のためにすでに売れてしまっています。
 それを端から見ている主人は「なんでそんなに急ぐのだ?」と。
 ここから、主人と今にでも離れたいとを話しました。
 主人は、なぜだ?どうしてだ? からはじまり、私は黙っていました。
 いつも何か言えばああだこうだ言うので黙っているのですが、主人はそのだんまりの理由がわからないのです。
 だからといって、なぜ黙っているのか話したところでちゃんとわかるとは思えないし、実際に過去にも軽く話したけど、やっぱりあんまり理解は出来ないことがわかっているので、黙っているのですが・・・。
 けど、主人は何事においてもはっきりした結論がないといけない人なので、とにかく追求してきます。
 私も昔はそうでした。
 だから、主人の言動は分かるのですが、わかるからこそ、黙っていることであえてもめることを防ぐことが出来るのです。
 けど、今日は主人にそういったことも話しました。
 何もかも追求して結論を出すことがいいこととは限らないんだよ、世の中ってのはと。
 もちろん、自分の中でわからないまま放置することはフラストレーションがたまります。
 だけど、人との付き合いの上で、わかっているけどあえて黙っていることがいい方向につながることもあるのだと話しました。
 また、主人の中に、失敗に対しての異常なまでの自己嫌悪感をもっていることも話しました。
 娘との今までの子育てにおいてがまさしくそうでした。
 私が娘に何もしてあげられなかったし、してあげなかったから余計です。
 だけど、あえて手を出さない口を出さないことが、成長し大人への自立につながるのだけど、娘の失敗を恐れて手を貸してしまう、それが私にも手を貸してしまいその限度を知らないからゆえにあれこれ口うるさくなり、ひどいと支配的な言動が出てくるのです。
 主人が毎回言う「話さなくては何もわからない」ってことは、よくわかります。
 だけど、主人に話せば、主人の言葉で私の気持ちは揺らぎ、結局いいくるめられて主人の思惑通りになり、結果として元の木阿弥となり、また主人のお小言や言動を素早く察知しなくてはならない日々を過ごし、結果的に自分を苦しめていくのです。
    主人のことは私が世の中で一番の理解者だと思います。
    同時に、私のことを世の中で一番わかっているのは主人です。
    私の生い立ちから歪んだ成長過程を踏んでいることを主人は一番わかっていて、両親等から受けられなかったいろんなことを叶えてくれ、また、叶えようとしてくれていることは、本当に感謝しきれません。
    主人が言うように、私の今の行動は突拍子なく、周りを振り回していることは、本当に心苦しし、申し訳ない気持ちです。
    しかし、遅かりし反抗期と自立という過程を、今、私はやっていきたい。
    だから、主人と離れることを、主人に話しました。
    この月曜日に、カウンセリングがあり、カウンセラーにも、この土地から離れることを話しました。
    カウンセラーは、私の意とするものがわかっているからか、昔みたいにもうブレないねと。
    主人を憎しんでいるから離れるのではないのです。
    あくまでも、私一人でどこまでできるのか、ちゃんと上手に依存しながらやっていけるか、そこがこれからの私に必要だと感じたから離れることにしたのです。