私は滅多にほかのブログ記事を転載するということがないのですが、とてもいい情報でしたので、今回載せることにしました。私のコメントも黒文字で入れています。

 

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2006/08/post_367.html

 

加藤清正は、日本の西端の九州熊本に、日本三大名城の一つに数え上げられる『熊本城』を築きました。清正は、近江から、城壁の基礎となる石垣積み石技術衆の穴太衆を召し抱え、阿蘇の積み石文化を習わせて融合し、朝鮮征伐後には、大陸の最新技術を織り交ぜて、扇勾配、「武者返し」で名高い石垣の熊本城を築きます。この「武者返し」と言われる熊本城の石積み法は、一般に扇勾配と呼ばれています。上部は朝鮮や中国の城郭で見られるようなほぼ垂直な石積みでしたが、城の下部の方は、朝鮮の寺院の軒先のカーブに似た華麗な線を持っていて、朝鮮技術が使われています。

 
 

白壁が照らされたライトでまぶしいくらいに白く反射し、黒い空と対照的に浮き出て見えました。そして、堀から、櫓以上の存在感を持って、石垣が反り返っています。これが、有名に「武者返し」です。「いまもむかしのままのこる熊本城の石垣は、『武者がえし』といって、美しいそりがあるので有名だが、この石垣の積み方は、清正が朝鮮征伐にいって覚えてきたと言われている。

 

清正が覚えてきた?

いやいや、専門でもない加藤清正に石積みの積み方を覚え、さらにそれを日本技術者に教え、指導して仕込ますなんて無理ですよ。しかも、いきなり熊本城や多くの石橋をつくろうなんて有り得ない話です。そんな素人が、重たい城を支持できるほどの強度ある石垣を作れるのでしょうか?しかもこんなに美しく。そんなにこの熊本城の石垣の積み方は、素人が覚えてきて指導できるほど簡単なんでしょうか?素人がつくるなんて、普通に潰れますよ。怖くて熊本城に入れやしない。清正が覚えてきて指導するなんて考えられない。これは清正が覚えて指導したのではなく、清正が朝鮮人を捕虜人として拉致して熊本城の石垣を作らせたと考えるが自然です。そしてその後も日本に住まわし多くの石橋を作らせたと考えるのが自然です。熊本城が作られてから、70年間突如、九州で石橋文化が発展した。そんな不可思議なことが考えられますか?

 

肥後の石工たちが造る石橋には秘密がありました。それは、中央のひとつの石を取り外すと、重力の関係で、つぎつぎと石が崩れ落ち、簡単に取り壊せる仕組みになっていたといいます。敵が攻めてきたときに、橋を落として城を守る仕掛けだったのです。こうした秘密を守るために、工事が終わると、肥後の石工たちは、城からつかわされた刺客によって、人目につかないように国境で切り捨てられたのです。

 

肥後の石工集団は、「種山石工」とも呼ばれ、現在の熊本県八代郡東陽村(旧種山村)を本拠としていました。 彼らはアーチ式石橋を作る技術をもった当時のハイテク・プロジェクト集団として、高度な石組みの技術を用い各地に眼鏡橋を造り上げていき、またその技術は石橋のほかにも、河川工事や干拓などの事業にも活用され、社会基盤の整備等、人々の生活向上にも大いに貢献しています。江戸末期から明治中期までの約70年の間に、突然、彼らは出現し、熊本だけにとどまらず、鹿児島(高麗橋や西田橋、新上橋など)など九州各地や、東京(旧二重橋や日本橋、神田橋、万世橋など)など、至るところに、見事な石橋を作り続け、その名声を全国にとどろかせたのです。そしていつの間にか消えていきました。皇居の旧二重橋や日本橋などが、「肥後の石工」に関係があったとは、驚きます。

 

また、もう一人の種山石工を代表する名工が、「橋本勘五郎(丈八)」です。丈八は林七の長男嘉八の三男で、石橋文化のピーク時に活躍します。

 

肥後の石工には、上記の「種山の石工」に対し、それより前に活躍した「仁平グループ」がいます。「仁平グループ」とは、加藤清正が熊本城を着工するとき、近江国(現在の滋賀県)の滋賀郡坂本村の「穴太石工」衆を呼び寄せたのが始まりで、熊本城完成後も益城郡上島村(現在の上益城郡嘉島町上島)に住まわせ、その後の堤防工事や干拓工事などに腕を振るっていた石工たちの子孫です。菊鹿町の洞口橋(安永3年)や昭和28年に流出した長陽村の黒川眼鏡橋(天明2年)などを造った仁平や、植木町の豊岡橋(享和2年)を造った理佐衛門などの石工たちがいます。

ほう、刺客によって切り捨てられたとは・・・。拉致され利用されたあとは、切り捨てか・・・。

 

さて、嫌韓流に告ぐの過去ブログも読んでくださいな。

何か意見があればメッセージください。

 

日本が朝鮮を侵略した決定的証拠①

http://ameblo.jp/s080226/entry-11561393338.html

日本が朝鮮を侵略した決定的証拠②

http://ameblo.jp/s080226/entry-11563287839.html

日本が朝鮮を侵略した決定的証拠③

http://ameblo.jp/s080226/entry-11572036318.html

 

もう一度これらのブログをまとめて、載せます。今度は、輸入量と輸出量を載せて説きたいと思います。

 

 
ペタしてね