過ぎゆく春 |  SHOKEI 'S TIMES

過ぎゆく春

学校を辞めたので 暇なように思われるのですが
なんか慌ただしく過ごしています。

またしてもK様情報で 最近は 吉本隆明氏の著書や
関連TV番組などを興味深く見ています。


先日のTVで 三浦雅士氏が熱弁していた「対幻想」論は
絵の問題を解く 大きな考え方だと思った。
(「私」がいて 絵を描くという構造だけではない事 等)

またNHKのETV特集の
「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」で
死刑囚・大道寺将司(63)の俳句が紹介された。
この番組も 面白かったので、すぐ大道寺氏の句集を購入した。

『棺一基』大道寺将司全句集/辺見庸 編 太田出版

とても素晴らしい本だと思う。

また辺見氏の出版に向けての努力も大変なものだっただろう。

そう思うと 辺見氏の思考構造が気になってきた。




今春は 身の回りで 心がときめいてしまう出来事や作品が
頻繁に現れたが 自分の絵は あまり進展していない。

感動したり「気付き」から絵を描くのだろうが
その感動を直に 再現したいとは思わない。

絵には距離が必要だと思う。「再創造」にしたい。
 


写真展などを見ていて思うのだが
作品としての善し悪しよりも またディテールよりも
カメラマンが なぜ その時 シャッターを押したのか
その瞬間の心の動きに興味がある。

プリントしてから 一他者として発見することもあるだろうが
シャッターを押した瞬間は「見た」からであり
(「見る」は目ではなく、脳で見ているから~)
それを見る 発見する為には それまでの思想が
その人の肉に染み込んでいるからだろう。

言葉を選ぶのも 色を作り出すのもそうかもしれない。



セザンヌ展を見に行った。
作品が凄いのは周知の事だが
彼が何を考えて モチーフとして岩や木々を選んだのか
何に拘って空間を歪め 質感を捨象して描いたのか・・・

美術界の中で 一番に「見た」画家であり
厄介な作品だとも思う。




< おまけ >

娘(次女)の誕生日カードの代わりに描いたジグソーパズル。
BERGが 100均で購入してきた板にアクリル絵の具でお遊び

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