言語の壁 (1) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 現代の若者が海外に出ようとする意思が全くないと言われて久しくなりましたが、ファッション業界に於いては海外の学校で学びたいとか、海外の会社で働きたいとか、僕のように日本で働いて経験を積んでから海外に挑戦したいと思う人はまだまだ多いのではないでしょうか。何より、ファッション(洋服)はヨーロッパ発祥の文化ですし、歴史という我々日本人には覆す事のできない信頼を持っている訳ですから、そこの人々と通じ合いながら、そこのファッションに触れ、そこの考え方、作り方を学ぶという事は意義あることだと思います。また、ファッションという事だけでなく、海外で生活をすると良い事や当然嫌な事も経験する事になりますし、何よりもそういった経験から客観的に日本という国、日本人の長所や短所、そして自分自身のアイデンティティとは何か、といったことを考える機会が嫌でも出来てくるということは日本にいてはなかなか経験できる事ではありません。そういう意味で言うならば、アイデンティティが欠如していると言われがちな日本人にとって海外で生活をするということは間違いなく有意義なことであることは間違いないでしょう。


 そんな海外で生活する上で何よりもまずしなければならない事に、言語を習得するということがあります。超基本かつ超重要なことですね。今の日本の教育だと高校までは第1外国語として英語の授業があります。同じ大学の後輩で海外で活躍する友人とも話した事があるのですが、僕達が学んだ受験英語はある程度英語が話せるようになり、仕事でもコミュニケーションが取れるようになってくると、表現力をより豊かにしたいという段階にさしかかります。その時にようやく役に立っているなと実感し、あれだけ勉強していて良かったなと思います。ですので、受験英語が全く詰め込み教育の弊害だと言うのは、表面的な批判でしかないと僕は捉えています。が、まずコミュニケーションを取るという初歩的な段階ではあまり意味がありませんでした。つまり、簡単な単語でも何でもいいので会話が出来る、つまり人の言う事を聞いて、自分の言いたい最低限の事を伝えるということが出来るかどうかは、やはり会話の訓練が出来ていないと、どれだけ単語の知識が豊富であってもできることではありません。


 僕の場合は、ミラノということでイタリア語を母国語とする国である訳ですが、幸い?なことに大学で二年間イタリア語の授業を受けていた事で、(といっても8年ほど前の話でほとんど忘れていましたが)勉強すると次第に思い出してきて、文法の複雑なイタリア語を一からスタートするよりかはすんなりと覚えて行く事が出来たと思います。まず、僕の経歴を言いますと、28歳でミラノに移りました。その時の英語のレベルは初級会話がやっと出来るレベル、イタリア語は初歩的な知識はありましたが会話はほぼ不可能なレベルでした。そんなんでよく仕事見つけたねーと思われる人もいるかと思いますが、またもや幸い?なことに、日本人が何人か働いていた会社で、僕が入った時も他に日本人がいたため、そのうち言葉も覚えてくれるだろうという楽観的な考えの下に採用を決めてもらったのだと思います。よく、パタンナーは技術職だから言葉が出来なくても何とか仕事はできるでしょう、という話がありますが、僕もそう思っていたんです。が、実際は言葉が原因で思った様な仕事ができなかったという非常に辛い経験を最初の二年くらいは味わされることになったのです。次回に続けます。



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