愚痴をこぼす | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
https://arlnata.com/index.html


 生きて行く中でうまくいかない事はたくさんあります。自分の中でそれをぐっとこらえることがほとんどでしょうが、たまには誰かにこの気持ちを聞いてもらいたい、共有してもらいたいと思う事もあるはずです。そんなときついつい愚痴をこぼしてしまいます。自分で不満を全て溜め込んでしまうと精神的にもよくはありません。時には自分が愚痴をこぼし、ある時は友人、同僚の愚痴も聞いてあげる事でお互いに助けあうことは大変いい事ですし、こういったことから友情や信頼がうまれることもあります


 愚痴をこぼすということは自分のストレスを発散させたいという事だと思いますし、自分の不満が客観的に見ても間違っていない、正しいのだということを確かめることで安心したい行為なのだと思います。だから誰かに聞いてもらいたい、うんうん、はいはい、そうだよね、わかるわかる、大変だねー、、、、と言ってもらいたいのであって、正当な議論をしたいとか、真っ当な反論をされたいのではないのですね。だから、自分の親しい人間が愚痴を言いたいんだなと判った時は、例え少々おかしい点があったとしても、敢えてその時はそれには触れず、その場はただただ肯定してあげるのが優しさだと思います。


 僕の愚痴もたいがいひどいと思いますし、いつもその犠牲になっている友人達がいるわけで、たいへん申し訳なく、またつき合ってくれてありがたく感謝しています。特に僕の場合は転職する前にこのストレスが溜まりまくる傾向があります。今の会社が3社目でまだ一年半足らずですが、一社目は4年半、二社目は5年働きました。そうすると、入社した時はまだ会社の方法にもなれず、色々な事を吸収する事ばかりで、愚痴を言う暇もありません。愚痴を言った所で自分の信用が無い訳ですからただひたすら勉強し、信用を得る努力をするしかありません。が、ある程度会社に慣れて、それなりの仕事を出来るようになって、自分の次の将来を考えるようになると、どうしてもその考えている環境と自分の置かれている現実ギャップを感じるようになりました。自分のやりたい事が今やっている事と違うということですね。ですが、職業(自分の環境)というのはそんな簡単には変えられる物ではなく、相当強い意志と行動力がなければ変えられませんので、うまくいくまでは愚痴のオンパレード、ということになっていたと思います。


 ただ、愚痴を言ったからにはそれを出来るだけ改善する責任があると僕は思うのです 。言い放ったままで後はまるで何も無かったように振る舞い、また同じ問題にぶつかり同じ愚痴を言う、、の繰り返しでは聞いてる方もうんざりでしょうし、人としての信頼が薄れてしまうのではないでしょうか。愚痴を言ったからにはそれを少しでも良くしようとする姿勢が次の愚痴ミーティングで見られれば、聞き手も進歩を感じて、応援したくなるのではないでしょうか。僕は例え愚痴であったとしても、自分が言った事には責任を持つような姿勢を忘れてたくはないなと思っています。


参照記事:目標は声に出して言おう


今回の記事に賛同していただけた方、是非下をクリックしていただき、多くの人と共有できるようご協力お願い致します!!

人気ブログランキングへ