今年も今日で終わり、大晦日ですね。ぷなパパです。
とうとうやってきました。大晦日。
みなさん、大掃除は終わりましたか?年賀状は書き終わりましたか?
2005年、やり残した事はありませんか??
今日の「ぷなぷな日記」は2005年を振り返ってみたいと思います。(゚Д゚)ノ
今年はぷなパパが生きてきた29年間で、1番の年です。いろいろな意味で(汗)
2005年、お正月、首のリンパ節に「しこり」が出来てすべてが始まりました。
最初は「脂肪のかたまり」のようなものかと思っていましたが、
風邪も治らず、微熱も下がらないような状態なのもあって、病院へ・・・。
精密検査が必要と言われ、越谷の獨協医大病院へ検査にいきました。
そこでのCT検査のときにアクシデントに襲われました。
アナフィラキシーショック
聞き慣れない言葉だと思いますが、簡単に言えば「過剰なアレルギー反応」ですね。
例えば、蜂に刺されて死亡された方の原因は、
アナフィラキシーショックがほとんどです。
ぷなパパの場合、撮影の時に使用する造影剤が原因で、
アナフィラキシーショックを起こしてしまったんです(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
死にかけました・・・。マジです(゚Д゚;)
この時、生まれて初めて「死」というものを感じた瞬間でした。
口内は一瞬で腫上がり、気道も極端に狭くなって息が苦しくなります。
全身が痙攣して、嘔吐を繰り返しました。呼吸困難も起こりました。
心拍数が少なくなっていき、血圧も上が40を切り、手首で脈が取れなくなりました。
この病院は救命救急センターがある病院で、
そこの医師達や看護士さんが駆けつけてきました。
総勢十数人に囲まれて、処置が続けられていました。
自分ではすごくその時のことを良く覚えています。
でも後から聞くと、「意識が無かったですよ」って言われました。
思い出すだけで鳥肌モノですよ。本当に・・・ヽ(゚Д゚;)ノ
結局、そのまま入院になり、首の種痘摘出の手術を受けることになりました。
この手術が痛かったんです(泣)
全身麻酔の予定でしたが、アレルギーが怖いということで、
局所麻酔で手術は行われる事になりました。
しかし、手術が始まってすぐに驚愕の事実が・・・。
あんまり麻酔効かないかも??(≡д≡)
局所麻酔は効きやすい人と全然と言って良いほど効かない人がいるらしく、
ぷなパパは、後者でした・・・。これはしんどかったです。
自分の首をメスで切られている感覚や痛みがリアルに襲ってきました。
時間にして2時間ちょっと。脂汗どっぷりで、手術が終了しました。
いや~、良い経験させてもらいましたよ。
この世の中にそんなにたくさんはいないと思いますよ~、
リンパ腺を他人に触られるなんて・・・しかも直接(笑)
この時はまだ知らなかったんです。「ガン」だなんて・・・。
病理の結果が出てすぐ、「がんセンター」に紹介状を書きますと言われました。
嫌な予感を感じつつも、指示通り行きました。
忘れもしない2月14日。聖バレンタインデーの日。
「申し上げにくいのですが100%『ガン』です」
悪い予感は見事に的中しました。
この日から、ぷなパパと「ガン」の闘いが始まりまったのです。
「胚細胞腫」(精巣ガン)
ぷなパパの「ガン」の正式名称です。
すぐに抗がん剤による治療が始まりました。
ぷなパパは今年まで点滴も入院もしたことがありませんでした。
体が丈夫なのが取り柄だったのに・・・。
「一寸先は闇」。まさにこういう事だと思いましたね。
2月から抗がん剤の治療が始まりました。
入退院を繰り返してるとき、「ブログ」と出会いました。
本屋さんのPC関連のコーナーを見ていたときのこと、
ブログの特集を組んでいる雑誌に目が止まりました。
「なんか面白そう・・・」
きっかけはこんなモンです。アメブロを選んだのも偶然です(笑)
そして4月20日。「ぷなぷな日記」がスタートしましたヽ(≧▽≦)ノ
抗がん剤治療や手術前後の様子は、以前の記事を読み返してみてください(〃∇〃)
今日書いたことは、「ガン」と告知される前の出来事。
「ぷなぷな日記」には書いていない、「ブログ」に出会うまでの出来事です。
抗がん剤のことについても、手術のことも、書きたいことは山ほどあります。
来年はこういったことも、ちょこちょこ書いていきたいな~と思っています。
10種類の抗がん剤。2度の手術。切れ痔(爆)Σ(・ω・ノ)ノ
でも、「ガン」は治りませんでした。
完治の可能性は0%、治療は打ち切られ、緩和ケアに切り替わりました。
生きてるのに・・・まだ生きてるのに、闘うことが出来なくなりました。
悔しかったです。情けなかったです。そして悲しかったです。
何だったんだろう?って思いましたよ。やっぱり。
何のためにここまで苦痛に耐えてきたんだろう、
何のためにここまで頑張ってきたんだろうって・・・。
しかし、ぷなパパは前向きに考えるようにしています。
事実を冷静に受け止めて行こうとも思っています。
「ガン」の闘病で得たものもたくさんありますから・・・。
今年は本当にたくさんの人と出会うことが出来ました(^∇^)
そのきっかけは、やっぱりこの「ぷなぷな日記」です。
最初は、ごく身近な人間しか知らなかったこの日記も、
少しずつ、その輪が広がっていきました。
そしていつの間にかに、たくさんの方々に支えられていました。
「ぷなぷな日記」を読んで頂いているみなさまに感謝(´ー`)
どうやら無事に年越しを迎えられそうです。
・・・本当はここで終わりにしようと思っていましたが、
これは、昨日あった本当の話・・・。
ぷなパパと子供達でお風呂に入ってたときの事。
息子(小学1年生)にこんな事を言ってみたんです。
ぷなP「もしパパが居なくなったら、お前がママと妹を守るんだよ」
「もし明日、パパが居なくなったとしても、お前がこの家を守るんだよ」って・・・。
息子 「うん。わかった("▽"*)」
ぷなP「出来る??」
息子 「うん。出来るよ」
パパの冗談としか受け取らなかったのか余裕の返事です。
まあ正直、こういう話はまだ無理かなって思いました。
ぷなパパは自分の父親から、
「俺が居ないときは、お前が家と家族を守れ」って言われてました。
小さい頃から、そういう教育をされてきました。
ウチは昔、自営業だったので、父がいつも家にいましたから、
たまに父が旅行などで数日間居ないときは、口癖のように言われてましたよ。
「この家を頼んだぞ」って。
ですから、ぷなパパも息子にいつも言ってるんです。
「パパが居ないときは、お前がママと妹を守るんだよ」って。
ぷなP「もしパパが居なくなって、ママと妹が泣いていても、
お前は泣かずにママと妹を守っていくんだぞ」
息子 「うん。わかった!じゃあ指きりね」
男同士の約束です。
ゆっくりとしっかりと、お互い目を逸らさずに指切りをしました。
あんなに真剣に指切りしたのは、初めてかもしれません。
そのあと息子が聞いてきたんです。
息子 「僕もパパみたいに強くなれるかな~?」
ぷなパパは、こう答えました。
ぷなP「誰かを守ろうとする人間は、強い人間なんだよ」って。
決して間違って欲しくないんです。
「力が強い」ことだけが「強い」ってことじゃない。
「力」よりも何よりも「心」が強い人間になってもらいたい。
7歳の息子に、これを理解しろと言うのは酷かもしれません。
でも全然理解出来ないとも思っていません。
子供達には教えたいことがたくさんあります。
聞かせたい話もたくさんあります。
でも残念ながら時間はどのくらい残されているのか分かりません。
無限と思っていた子供達との時間も、
そうではなくなったと実感しています。
ぷなP「頑張れそうか?」
息子 「はい(´ー`)ノ」
大きくなったな~。いつの間にこんなに大きくなったんだろう?
ちょっと感動しました・・・。
着替えも終わり、リビングでテレビを観ていると、
歯磨きを終えた息子が、ダッシュしてこっちに向かって来ました。
そして言い放ったんですっ!!
「僕、女の子大好きっ!!ヽ(≧▽≦)ノ」
工工エエエエエエェェェェェェェェ(゚Д゚;ノ)ノェェエエエ工
(°Д°)ハァ? 何でこのタイミングで??
しかも・・・
「可愛い子見ると、目がハートになっちゃうっ!(〃∇〃)」
はあ・・・(;-_-)
まあねぇ~、むっつりスケベや、男が好きな男(笑)になるよりはマシですが・・・。
こうも大々的に発表されても困りますよねぇ・・・。
でもまあ、良しとしましょうか(´ー`)ノ
自分の意見をハッキリ言えるっていうのは、素晴らしい事ですから。
いや~、しかし笑わせて頂きました。
ちょっぴり感動させられた後に笑わせてくれるとは、
我が息子ながら、あっ晴れですねーっ!!゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
立派な女好きになれよ!(゚Д゚)クワッ
年間最後の締めくくりが、息子の女好きネタ・・・、
「ぷなぷな日記」らしいですね(笑)
これで本当に今年の「ぷなぷな日記」は終了です。
いろいろあった2005年。
良い事は忘れず、辛かった事や悲しかった事は忘れましょう( ̄∇ ̄+)
心機一転、2006年を迎えたいと思います。
この1年間、お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!!
ではっ!良いお年をっ!!ヽ(≧▽≦)ノ