こんにちは。
三連休を漫画を読み耽る時間で占めた私です。
さて、義経の漫画を読んでの感想を書こうかと。
今、義経は平清盛からの暗殺の手から逃れるべく、奥州平泉に来ております。奥州平泉とは今の東北の宮城岩手周辺だと思います。
平家にあらずんば人にあらず。
との言葉があるとおり、平家の独裁政治が京では繰り広げられています。
しかし、奥州藤原氏はまた別の勢力とされています。
だから、奥州では長年、戦がなく、平和に民は暮らしていました。
しかし、結局その中でも、藤原忠衡に恨みを持つものがいて、反乱が起きます。
そして、平和ボケしていた藤原軍は危機を迎えます。
この話を読んでいると、何が幸せかはわからないなということ。
平和が本当に幸せなのか?
ずっと平和である保証はない。
ましてや、平和ボケが戦をせねばならなくなった時、どれだけ苦痛かと。
それよりも、戦をしていたけれども平和になった方が、平和の尊さをより良く感じられるのではないか。
下から登ってここにいるのと
上から落ちてここにいるの
どっちが辛いと思う?
誰かを虐めて
自分よりかわいそうな奴でも作らなきゃ自分の悲しみに潰されそうになるんだ
若いうちの苦労は買ってでもしなさいっていうことと同じ。
たくさん、辛い目にあって、たくさん泣かされよう!
人生80年、絶えてみせましょ、
この辛い世を
ものがあるのが当たり前。
パソコンも車も全てが人類の進歩なんかではない
人類の後退の補助器具でしかない。
足も頭も衰えた
時間もない
幸せといったら金
全てが人間本来の備えてるものではない
私は構造主義者ではなく、人間中心主義者である
人間が一番偉く、賢く、強いの。
人間がディバイスを使うべきで、時を好きにコントロールすべき
神などいない
死があるだけだ。
さぁ、お昼寝だ!
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