人間の傲りだけで幻の栄華を極めた



藤原道長はこんな句を詠んだという。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(「この世は 自分(道長)のため にあるものだ だから満月が欠けることもない」 という意味)

ウィキペティアより転載



また平家物語の淡々とした言葉も深くつき刺さる。


http://homepage3.nifty.com/geturo/karuta/ansyou/gionnsyouja.htmlより転載

『平家物語』

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響あり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

驕れる者久しからず

ただ春の夜の夢の如し

猛き人もついには滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ。

(ぎおんしょうじゃのかねのこえ

しょぎょうむじょうのひびきあり

さらそうじゅのはなのいろ

じょうしゃひっすいのことわりをあらわす

おごれるものひさしからず

ただはるのよのゆめのごとし

たけきひともついにはほろびぬ

ひとえにかぜのまえのちりにおなじ)

角川日本古典文庫『平家物語 上巻』

(訳)釈迦が説法をした天竺の祇園寺の鐘の音には、この世の全てのものが消滅流転すると言う真理を告げる響きがある。
釈迦が入滅したときにその死を悲しんで、俄かに白色に変わり、枯れてしまったという沙羅双樹の花の色は、どれほど栄えたものでも必ず衰える時が来るという、理をあらわしている。
力を誇っている人も永遠という事はなく、それは春の短い夜の儚い夢のようなものである。

勇を奮う者も最後には滅びてしまう。

それはただ、風の前であっけなく吹き飛んでしまう 塵の存在と同じである。








栄えること、現在では右肩上がりの成長をよしとするあまり暴走している。




だから地球が怒っているという人もいる。





人間の欲だけで、自分達が支配者だから自然も、命も好きにしてきた。



馬鹿げた話。人間の皮を被った鬼だ。まだ鬼のほうがいいのかも知れないけど。



そう思っていたら頭に『 大地讃頌 』が流れてきた。
私はこの歌を中学校の頃、合唱でアルトとして歌った。


震災後にUPされているものも多かった。皆、心に『大地』の人の力ではどうにも止められない地震を思って、讃えることで少しでも落ち着いて欲しいのかも知れない。




多くを望まずに謙虚に生きる


それが出来たのなら…。




http://kazuki27.fc2web.com/file/kashi.htmより転載




『大地讃頌』




母なる大地の懐に

我ら人の子の喜びはある




大地を愛せよ

大地に生きる




人の子ら 人の子その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)




平和な大地を

静かな大地を

大地を誉めよ

頌(たた)えよ 土を




恩寵の豊かな

豊かな

大地 大地 大地

(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)

頌えよ 頌えよ 土を

(誉めよ 頌えよ)





母なる大地を

母なる大地を

頌えよ 誉めよ

頌えよ 土を




母なる大地を ああ

頌えよ大地を ああ







Android携帯からの投稿