第2907回「クリスマス・キャロル、ストーリー C.ディケンズ」(児童文学) | 新稀少堂日記

第2907回「クリスマス・キャロル、ストーリー C.ディケンズ」(児童文学)

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 第2907回は、「クリスマス・キャロル C.ディケンズ」(児童文学)です。ヴィクトリア女王時代に活躍したチャールズ・ディケンズの諸作品は、イギリスの国民文学です。ひるがえって、日本では、国民文学は、今や存在しないのではないでしょうか。


 円熟期に書かれた「ディビッド・コパーフィールド」は、産業革命がもたらした極端な格差社会を描いています。どん底の状況の中、底辺の人々の支えと、自身の才能によって、這い上がっていく自伝的な小説です。時代は変われど、格差は常にあります。日本の高度成長期からバブル崩壊までの均質だった社会は、世界史においても、例外的な時代だったのではないでしょうか。


 「クリスマス・キャロル」は、啓蒙書としてのクリスマス物語です。この作品によって、主人公スクルージは、"ドケチ"の代名詞となりました。19世紀、イギリス産業革命期において成功者となった商人スクルージは、確たる人生哲学を持っていました・・・・。


 クリスマスを翌日に控えた夕刻、人々がスクルージの事務所を訪れます。唯一の肉親であるフレッドは、スクルージを自宅のクリスマス・パーティに招待しますが、スクルージは、にべもなく断ります。フレッドも、彼の性格を知り抜いていましたので、さほど期待していなかったと思います。


 次にきたのは、2人の紳士です。貧者への寄付を募りますが、スクルージが応じる訳がありません。窓からクリスマス・キャロルが聞こえてきます。貧しい青年が、物乞いをしているのですが、スクルージは、一顧だにしません。スクルージの事務所には、ボブが勤めています。薄給でこき使われています。ボブの末っ子は、病気がちです。貧しいながらも、幸福な家庭なのですが、末っ子のことだけが気がかりです・・・・。


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 事務所を閉め自宅に帰ったスクルージに、かつての共同経営者マーレイの霊が現われます。マーレイは、スクルージを諌めにきたのです。このままでは、悲惨な運命がまっているぞ・・・・。ですが、説得して分るスクルージではありませんので、マーレイは、これから3人の霊が現われると予言します。


 第1の霊(過去)は、スクルージの少年時代、青年時代の姿を見せます。スクルージも、霊的存在となり、時空を超えていきます。当時のスクルージには、夢もあれば、他人に対して苛酷でもありませんでした・・・・。


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次に現われた第2の霊(現在)は、ロンドンだけでなく、世界中の家庭を見せていきます。その中には、使用人のボブの家庭も含まれていました。スクルージは、そこではじめて、ボブの末っ子の余命が尽きようとしていることを知ります・・・・。


 疲れはてて眠っているスクルージの元に、第3の霊(未来)がやってきます。その未来の世界では、自分の姿がありません。人々は、評判の悪い男が亡くなったと話し合っています。死者の衣類をはぐ男女がいます。死者の顔は見えません。世紀末的な光景です・・・・。


 ボブの末っ子は、亡くなっているようです。スクルージは、荒廃した墓場に連れていかれます。墓には、"スクルージ"と記されていました、荒廃した墓石です・・・・。クリスマスの朝、スクルージは目覚めます。過去は変えられなくとも、未来は切り拓ける・・・・、スクルージの再生を暗示して物語は終わります。


 現代の日本でも、老人たちは、年金という名前で、若年世代から、その肉をむさぼり、血をすすっています。老人世代は、いまやゾンビと化しました(私もです)。ただ、当人たちには、その自覚がありません。当然、墓を作っても、もうでる人はいません。スクルージが見た未来そのものです。


(補足) 写真は、ウィキペディアから引用しました。