逃走記シリーズ

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ミャンマーは日本と非常に縁の深い国である







その関係は1940年前後に遡る



日本は当時、完全に出口の見えない日中戦争の真っただ中にいた




1937年


ある事件をきっかけに始まった日中戦争は、早期に決着し、和平締結につながると見ていた日本政府の思惑とは大きく外れ、戦線は拡大を続け、のちの太平洋戦争へと突入した




戦争が泥沼化した原因は様々あるが、そのうち最も大きなものが「援蒋ルート」と言われる物の存在である




当時の中国の軍隊は大きく二つに分かれていた



蒋介石率いる国民党軍と、毛沢東率いる共産党軍である


いや、軍と言っても現在のそれとは程遠く、略奪や強盗を繰り返すだけのならず者の集まりであった



1905年に起こった日露戦争で勝利を収め、名実ともに近代国家の仲間入りを果たした当時の日本


そして、まだまだ近代国家とはほど多い当時の中国


実力的には大人と子供以上の開きがあっただろう



しかし、二国間の争いではそうであっても、複雑に絡み合った当時の国際情勢では敵は一か国ではなかった



日本より先に中国国土を蹂躙していたアメリカ、イギリス、フランス、オランダをはじめとする欧米列強


日本に敗れ、のちの社会主義革命で国力は地に落ち、さらにはナチス・ドイツからの侵略に怯えるソ連




これらの国同士の利害が一致し、日本は中国との戦争に突入したというより、完全に中国大陸に引き込まれてしまった




遅れて出てきた大国日本を自分たちの利益(植民地)を奪う脅威と見始めた欧米列強


そして、そのレースからは完全に取り残され、無駄に大きい国土を有するが故に、西のドイツと東の日本からの脅威に打ち震えるソ連




日本を中国との戦争に釘付けにさせることにより、各国の脅威を和らげることで利害が一致したそれらの国々は、当時の中国国軍の筆頭であった蒋介石率いる国民党軍を全面的にサポートした



その時に、軍事物資や食糧その他を蒋介石軍に送り続けるために開発した輸送路を「援蒋ルート」という



それがミャンマー(当時のビルマ)を横断していた





実際にはこの「援蒋ルート」は大小含めて4つある


イギリス領であった香港から中国へのルート


フランス領であったインドシナからのルート


そして大陸続きであったソ連からのルート


しかし、大半は日本軍の進駐によりすぐにその補給路は断たれ意味をなさなくなったが、最後のビルマからのルートは最も効果的に中国軍の軍事援助に役立った



中国軍に永久に送られてくる軍事物資と食糧支援に苦しめられる日本軍



その「援蒋ルート」を遮断することが泥沼化した日中戦争を終結させる唯一の手段となった





ミャンマー(ビルマ)に進行する日本



当時のビルマもまたイギリスの植民地であり、ビルマ人はイギリス人の利益を生むために奴隷の様に労働を強いられ、作物を搾取されていた




イギリスからの支配を逃れ、独立を果たしたいビルマ


そのビルマに敷かれた「援蒋ルート」を遮断し、日中戦争を終結させたい日本




お互いの利害の元に、二国間は協力した




「援蒋ルート」を遮断したい日本


その流れに乗って、イギリスもろとも国外に掃き出したいビルマ



その時、ビルマ独立を果たさんと中心的役割を演じていたのが、青年活動家・アンウンサンであった




アンウンサン率いる「ビルマ独立義勇軍」と協力関係を深める日本



不穏な動きを察知したイギリスは、そのアウンサンを拘束するために指名手配するが、日本軍は彼を一旦日本へと亡命させ、一時静岡県浜松市にかくまった




その他のビルマ独立運動家も保護した日本軍は、彼らに軍事訓練を施こし、武器と資金を与えて彼らにビルマへの再潜入をさせた




当初、30人に過ぎなかった「ビルマ独立義勇軍」


ビルマへの再潜入後、各地で志願兵を募り、日本式の訓練を施しつつ戦力を拡大させ、最終的にはその兵力は3万人に達していた





そして、1943年8月


遂にビルマはイギリスを追い出し悲願の独立を果たす




残念ながら、日本そのものは「援蒋ルート」の遮断どころか、戦争そのものが日中戦争から日米戦争へとすり替わり、1945年に敗戦を迎えた




それに伴い、戦勝国側であったイギリスは再びビルマを植民地支配する


しかし、一度味わったビルマ人による独立の解放感と獲得した自信は、イギリスによる統治を許さなかった



日本と共に独立を果たしたビルマ


そして、日本亡き後、再び今度は自国のみで独立を果たしたビルマ



残念ながら、その最大の貢献者であるアウンサン将軍はイギリスからの二度目の独立を果たす直前に32歳の若さで暗殺されたが、彼の悲願は見事に成し遂げられた






ミャンマー(ビルマ)と縁が深い理由はここにある




日本の最終的な目的は果たせなかったが、ミャンマーは日本との合作によりイギリスからの略奪を逃れ独立を果たした



今現在も、ミャンマーの歴代の首相は


「ミャンマーの建国の父はアンウンサン将軍だが、建国の母は日本」だと言う




同様の流れは、その他の周辺国でも起きている



ミャンマーと同じくイギリスの搾取に苦しみ続けてきたインド


三百年以上の長きに渡りオランダに支配されたインドネシア


千年にも及ぶ中国からの支配下にあった韓国



アジアのほぼ全ての国は、日本の欧米列強に対する反撃であった大戦後に独立を果たしている




大戦で全てを失い、挙句の果てには戦犯国という汚名を着せられた日本


そして、その戦犯国によって独立を果たしたアジアの国々



残念ながら、イギリスをはじめとする欧米列強は戦争には勝ったが、そもそもの戦争目的である植民地支配という奴隷制度を全て失った




戦争に敗れた日本


目的を失った欧米


結果的にほしい物を手にしたアジアの国々





日本からミャンマーへのODA(政府開発援助)の金額は莫大だ


一時はミャンマーの国家予算の20%にも達したという




今後も、よりその関係性は強化されていくだろう



ミャンマー政府では日本からのこの資金援助を「二度目の援助」というらしい





一度目がイギリスとの独立戦争時に求めた「援助」



そして、二度目がいま現在の経済開発やインフラ整備に直結する「援助」だ





ミャンマーと日本の縁は今も深い




※上空から見た「援蒋ルート」