
昨日の金環日食、みなさんの地域では
見ることができたでしょうか

自分が住んでいる地域では、残念ながら
きれいな「環」には見えませんでした

「環」というより、「爪」みたいな感じでした
が、朝から家族でワイワイ言いながら見
ました

どうやら日本では、今から25年前に沖縄
で見えたらしく、日本全域で見えるのは9
30年ぶりらしいです。
ちなみにネットで調べたら岩手(盛岡)で
は、760年ぶり。
そして次回は、219年後の2231年3月
5日になるそうです。
前置きが長くなりましたが、今回のテーマ
は、「大人の焦り」についてです。
自分は、仕事柄、本と接する機会が多い
のですが、こんな本と出会いました

- 急がされる子どもたち/デイヴィッド エルカインド
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これは、アメリカの心理学者である
デイヴィッド・エルカインドによって、
10年前に出版された本です。
エルカインドは、子どもたちへの行
き過ぎた早期教育が、子どもらしさ
を奪ってしまっていると述べています。
そして、そういった大人たちの「待て
ない」言動や教育に警鐘を鳴らして
います。
子どもには子ども特有の、そのときで
しか感じる(経験する)ことができない
世界があります。
それは、大人の世界を単に小さくした
世界ではないということです。
いろいろな面で未熟な子ども自身が、
自ら持っている力や型を使って生き
ることを身を持って経験する世界です。
そして、自分の持っているものだけ
ではどうしようもならないと自ら気づ
いたときに初めて、どうするか考え
るようになります。
そうすることによって、子どもなりの
新たな力や型が生まれていくもの。
自ら生きる力が付いていくものだと
思います。
つまり、成長するには、きちんと段階
を踏む必要があるということです。
そこを手助けするのが大人の役目だ
と思うのです。
決して子どもの尻を叩くことが、何に
も増して最優先されるものではない
と思っています。
だから、子どもへの飛級的な「焦り
教育」は、子ども時代に大切なこと
を置き去りにして、子どもを大人の
道へ向かわせているのも同然。
それが、果たして子どものために
なるのでしょうか
それなのに、上手くプレーできない
子どもたちを怒鳴りつけ、責め立
てる・・・。
「何やってんだ」
「そんなこともできないのか」
と、自らのストレスのはけ口にして
いるだけで、何の教育的配慮も感
じません。
挙句の果ては
「バカ野郎」
「コノ野郎」
と、野蛮な言葉で人格否定です。
そういうことを言っている本人がバカ
で、指導力がないことを露呈している
ことに全く気づいていません。
ホント、呆れてしまいます
この本の最後の方で、ある大学の
心理学の教授がこんなことを述べ
ています。
人は今を、自分の身体に備わった
手持ちの力で生き、できないことは、
適当にやりくりしながら生きている。
そうして手持ちの力で生きている中
で、次の力が生まれてくるかも知れ
ない。
生まれてくれば、その新たな力を組
み込んで、また新たな世界を生きる。
発達とはそういうことではないか。
そうした新たな力は、与えられるもの
ではありません。
それは子ども自身の経験で掴むもの。
自ら感じるこでしか身に付かないもの
なのです。
だからこそ、大人は焦らず、とにかく
与えうるだけの「きっかけ」を与えて、
あとは見守るべきだと・・・。
早く上手くなってほしい、結果を出して
ほしいという焦りは禁物です。
子ども時代は、「大人への準備段階」
というのはある意味正しくもあり、間
違いでもあるのではないかと思うの
です。
先述の教授が、こうも述べていました。
来る「大人の時代」が、子どもにとって
の本番ではない。
子どもにとっての本番は、子ども
時代なのである。
だからこそ、この子ども時代に無理に
引き上げようとするのではなく、
「積み上げていく」
という思想が必要なのだと。
それだけに、大人は子どもの今を
大切にし、
「子どもたちにとっての野球」
を常に追求していく姿勢が求めら
れるべきだと思っています。
決して焦ってはいけませんよ
とにかく、我慢が大切です。
今まで書いてきたように、子どもを急
がせることは、教育上非常にリスクが
高いのです。
将来ある子どもを潰そうというなら話
は別ですけどね・・・。
いずれにせよ、気になる方は、是非
この本を読んでみてください
知っていると知らないのとでは、天と
地の差ですから