大切なことはなぁに?? | 演劇人 望月龍平/生観院流二代目 生観院成龍

演劇人 望月龍平/生観院流二代目 生観院成龍

【元劇団四季俳優が感動の人生・生き方を演出】

■演出家・脚本家・俳優・プロデューサー

■ソルライツチューニング 生観院流二代目

■会社社長

何の為にそれをやるのか


目的。

想い。

志。


そういうことがあるかなしかで


自分のやってることが

仕事=志事にもなるし

ただの作業にもなる。


最初から、何でもはうまくいかない

いくとは限らない


そうすると、三次元的にはしんどくなることも多い

イライラすることや

ムカつくこと

どん底に突き落とされたような心境になることもある。


そう感じた時に、パッと手放して辞めてしまうこともアリだと思う。


つまんないから、やりたくないからで投げ出してしまうこともあるだろう。


別にそれはそれで否定しない。


けれども、そもそもそれをやろうと決めた自分の

最初の想いや目的は何だったのだろうか。


どんなに善きことも

楽しきことも

何だか暗礁に乗り上げてしまうような瞬間はあるものだ。


その時に、自分の根となり幹となっている部分が何だったかを

人は忘れてしまうものだ。



とかく、僕は無謀な挑戦をしたがる。

ギャンブルに近いような。。

安パイを取れば良いところを

ちょっとしんどいんじゃねぇ??という選択をすることがままある。


今度再演が決まった来年二月の「君よ生きて」もそうだ。


しんどい。。

けども、ワクワクする方を選択した。



どういう結果に終わるかは分からないけども

妙な確信がある。



この舞台を観て、触れて


確実に自分のいのちの使い途について考えさせられる人が沢山出てくるということ


特に若い世代に。


中には、僕らクリエイティヴスタッフやキャストの中からも出てくるだろうし


もちろん、お客様の中からも。



物凄いことを託され


物凄く善きことに


提供する側は携わらせてもらっていること。


そのことを常に自分の根としておきたい。


でなければ、人は自分の置かれた状況を自分じゃない誰かのせいにしたくなったり

自分に託されているものの深さを忘れるから。


僕にとっての「君よ生きて」は神事であり

奉納なのだ。


ホントは誰でもそう。

自分の仕事が、お陰様でこんな風な形になりましたって、捧げてる行為が


仕事なのだ。


自分のやってることがただの作業になっていないか。。

そこにどんな想いがあって

誰を幸せにしたいのか。


この事が、僕が生涯演劇を通じて伝えていきたいことの一つでもある。







完成がだいぶ遅れてしまった「君よ生きて」サウンドトラックについて

京都在住のS・Yさんがこんなメッセージをくれた。


シベリアに眠る先人たちは、このメッセージを見て、喜んでくれるかな^ ^


「望月さん
ご丁寧にもお電話を頂いていたようで、留守番電話を聞いてビックリしました。
CD受け取り、今、早速かけながらメッセージを書いております。
舞鶴の舞台を拝見させて頂いた時の感激がよみがえってきます。
サミイさんがライブで、マリア、いい曲だけど曲が目立つシーンじゃないから、
とおっしゃってましたが、他の曲も含め、CDであらためてセリフも曲も全部、
ゆっくり味わえるのは嬉しいです!
本当に素敵な舞台、CDをつくっていただき、ありがとうございました。」


知って終わりではなく

知ったら始まり。


伝えるということを託されたのが人間なのです。