株式会社ZOZOが運営するFashion Tech Newsで、「化粧研究者 平松隆円が語る『これまでの化粧/これからの化粧』」と題して取材していただきました。

 

化粧研究との出合い、「化粧」はどのような行動や振る舞いを指す言葉なのか、デジタル技術の発展と化粧などについて、語らせていただいています。ぜひ、リンク先の記事(https://fashiontechnews.zozo.com/research/ryuen_hiramatsu)をご笑覧ください。

 

 

 

編集の都合でカットされたインタビュー内容もあるのですが、せっかくなのでここで公開させていただきます。あわせて、お読みください。

 

 

著書『化粧にみる日本文化』のプロフィール欄には、「世界でも類をみない化粧研究で博士(教育学)」とあります。化粧研究に取り組まれた経緯を教えてください。

 

関西はファッションが盛んだったこともあり、子どもの頃から服に興味をもっていました。中学1年生になると『メンズノンノ』を読みはじめ、高校の頃はコシノヒロコさんの提唱のもと、大阪の行政と経済界が協力して世界の檜舞台で活躍できるファッションデザイナーを発掘育成し、専門学校生などの才能溢れる作品を世に発表できる場を作ることを目的に開催されていた「大阪コレクション」といったファッションショーも見に行くようになりました。大学は教育学部でしたが、単位互換制度を利用して芸術系の他大学でファッションに関する授業を履修したりしていました。大学を卒業するにあたって、じつは内定をもらっていたのですが、おもうところがあり内定式の翌日に内定辞退を伝え、大学院にすすみました。ちなみに内定をもらっていた会社は、そのあと大学院の5年間アルバイトでお世話になっていました。

 

しかし、大学院に入るからには、研究テーマを決めなければなりません。そこで、どうせやるなら好きなテーマでと、ファッションの研究をしようと考えました。ファッションというと、当然ながら服を思い浮かべます。じつは、服の研究というのは繊維工学であったり家政学であったり服飾史であったりとけっこう研究が積み重ねられています。正直なところ、服をテーマにといっても服のなにを研究したらいいのか(まだ研究がされていないのか)を考えると、けっこう難しいんです。その頃、ちょうど渋谷に「ギャル男」が出現し始め、興味をもちました。そして、「なぜ彼らが化粧をするのか?」と疑問におもったとき、化粧の研究をしている人がいないことに気づいたんです。製品としての「化粧」の研究(化学)はもちろんあります。しかし、化粧が社会的にどんな意味をもつのか、どんな心理が働いているのか、といった点で研究する人はほとんどいなかったんです。そこで、誰もやっていないなら、自分がやるしかないと、化粧の研究をしようと決めました。

 

なぜ化粧が研究の対象とされてこなかったのには、いくつか理由があります。一つは、化粧を施す部分が「顔」だからです。化粧を研究しているとはいえ、化粧をする部分が顔であることから「結局は、美醜をテーマに研究しているのではないか」と、研究や研究者じしんが社会的な批判を受ける可能性があります。ようは、美人について研究しているんだろうとおもわれてしまうわけです。そのため、ボクの両親も近所の人に「息子さんは大学院でなにの研究をしているんですか」と聞かれても答えづらくはぐらかしていました。また大学も、なぜ化粧の研究が教育学のテーマになるのか理解できず、博士の学位をボクにあげていいか揉めたそうです。ボク自身、大学生の頃は他大学でファッションの講義を履修していたりしましたが、教育学の研究テーマになるとはおもえず卒業論文はファッション以外のテーマで取り組みました。

 

また、一般的には「化粧は、大人の女性だけがするものだ」と考えられています。大人の女性だけがするものを研究しても、得られる結果は限定的なものだから意味がないとおもわれたわけです。そして、化粧は一過性のファッションで、無駄で不要なものとも考えられています。ですが、はたして本当にそうなのでしょうか。もちろん、そうではないということを研究を通じてあきらかにしてきました。化粧品メーカーさんなどは、当然ながらこういったことを研究することはすごく大事だとわかっています。ですが、どうしても研究資金は製品開発に振り分けられてしまい、なかなか研究することができません。ですので、ボクが研究してそれを学会などで発表してくれることがありがたいとおっしゃってくださるメーカーさんもいます。

 

ちなみに、大学も大学院も京都でしたが、ちょうど、ルイ・ヴイトン・ジャパンが運営していた伝説の会員制クラブ「CELUX」のメンバーだったこともあり。大学院の時は研究のフィールドワークもかねてよく東京に行っていました。今でも当時のメンバーやスタッフとは交流がありますが、CELUXがルイ・ヴイトンの垣根を越えて異業種のブランドやメーカーとコラボしていたのを目の当たりにした経験は、今の大学での産学連携や学生に新事業創出(アントレプレナーシップ)を教える大きなヒントになっています。

 

 

化粧研究のなかでも、ご専門は化粧心理学・美容文化論とされています。こちらはどのような研究をする分野なのでしょうか。

 

化粧の研究は、なぜギャル男たちは化粧をするのかという疑問の答えを見つけるところからスタートしました。つまり、化粧をする男性の行動の原因(動機)である心理の解明、つまり化粧心理学です。ちなみに、とくに最初の頃は「化粧心理学」が専門ですとは言わず、自分では化粧を研究していますくらいにしか言っていなかったのですが、博士の学位を取得してから化粧の研究に注目してくださるメディアの方々の間で「化粧心理学(者)」と言ってくださるようになり、今では自分でも専門を「化粧心理学」としています。必ずしも学問の分野として「正式」に化粧心理学というのがあるわけではありませんが、最近では多くの大学で化粧心理学以外にも被服心理学や服装心理学といった科目で授業が展開されており、化粧や衣服といったファッションに関する心理を学ぶ重要性が理解されはじめています。

 

化粧心理の研究方法としては社会心理学的アプローチから、統計を用いて研究をすすめていきました。当時、関西大学の教授だった高木修先生がファッションの心理学の研究では第一人者で、高木修先生のゼミや研究会ではファッションの心理について着装規範などが研究されていました。そこで高木先生にお願いし、大学院修士課程のときにゼミや研究会に参加させてもらい、社会心理学的アプローチからの統計を用いた研究方法などを教えてもらいました。ファッションの心理学は学生のあいだでも人気の研究テーマです。今の若い人たちはファッションの心理学の研究と言えばファッション工科大学(FIT)のドーン・カレン(Dawnn Karen)あたりが最初だとおもっていたりするのですが、じつは日本では40年以上の前から研究されていたりします。 話を戻します。当初、仮説としては「女らしい」男性が化粧をしていると考えていましたが、研究の結果としてはジェンダー的に女性は「より女性らしい人」が、男性も「より男性らしい人」が化粧を頻繁にすることがわかりました。しかし、統計はあくまで「結果論」でしかないので、どんな因果があってその現象が引き起こされているか、考察することまではできませんでした。そこで、大学院博士課程にすすんでからは、出来事の因果を歴史学的なアプローチから検証してみることにしたんです。ドイツの歴史学者であるカール・ランプレヒトが過去の一時点における社会心理を探っていくことが歴史学だと言っていたように、歴史学は、じつは社会心理学と似ているんですよね。そして、国際日本文化研究センター(日文研)という、様々な専門分野の研究者が集まって共同研究をおこなう国立の研究機関に研究生として入りました。受け入れてくださったのは『美人論』『美人コンテスト百年史』『パンツが見える。―羞恥心の現代史』『ふんどしニッポン 下着をめぐる魂の風俗史』などの研究で有名な井上章一先生でした。井上章一先生からは文献目録からあたりをつけて調べる方法や文献からいかに傍証を集め立証していくかという研究の方法を習いました。

 

当時のギャル男が何を考えていたのか知るため、過去の『メンズエッグ』(大洋図書)をヤフオクで1冊1,000円くらいで買い集め、読み漁っていきました。すると、「ギャルと似た格好をしているとモテる」というインタビュー記事を見つけました。ギャルと似た格好をするためにギャルファッションのアルバローザを着たり、化粧をするギャル男がでてきたんです。これは、自分と似ている人に対して好意を抱くという心理学でいうところの「類似性—好意効果」です。つまり、「モテたい」という気持ちから化粧をするので、より異性に関心がある人、つまり男性であれば「男性らしい人」が化粧をよくおこなうことにつながっているということがわかりました。化粧を歴史学(風俗史)を中心に民俗学、人類学などの視点から研究することもすごく大事ですので、そのあたりが化粧文化論になってくるわけです。

 

よく、心理学をやっているのか文化論(文化史)をやっているのか中途半端だと研究者の世界では言われることがあります。研究の世界ではディスプリン(学問・専門)がはっきりしていることが重要なので。ですが、化粧は抽象的なものではなく、具体的な社会的、文化的現象の一つです。また、社会や文化や心理のあらゆるものと関連している行動形式や価値基準にもとづく習慣です。人間の個人的性格と社会的生活は、表情や魅力に関係しますが、それらを強調し、意図的に操作をおこなう化粧は、その社会や文化がつくりだす一つの結果であり、投影図でもあります。そのため、人の心理(性格)という「構造」的な研究と社会(政治や経済、国際関係、社会インフラ)という「動態」的な研究という研究域・研究軸が必要になるため、化粧を研究するにあたり心理学的な手法と文化史学的な手法を使っています。

 

もともとは、人はなぜ化粧をするのか、化粧とはそもそもなんなのかという疑問から研究がスタートし、化粧に関する規範をあきらかにしようとしてきました。いまでは、タイの大学に勤めた経験とタイにも生活の拠点を置いていることを生かして、日本人とタイ人の化粧について比較研究をしたりしています。それ以外にも、同じスキンケアでも朝と夕方でスキンケアから受ける心理的な影響が違うこと、男女を問わずネイル(マニキュア)をすることがストレス解消に効果があることなどもあきらかにしました。ネイルは当時の京都大学の院生さんと一緒に妊婦を対象に研究したところ、妊娠でストレスの影響を受ける妊婦のストレス解消にも効果があることがわかり、全国ニュースだけではなく中国の新華社通信が中国国内向けに報道するなど、かなり大きな反響があったんですよ。この研究成果を知ったゼミの学生たちがこれを生かして、JALの客室乗務員たちとネイルシールを企画・販売したりもしました。

 

 

「化粧」とは何(行動・振る舞い)を指す言葉なのでしょうか。

 

化粧は、化粧品を使っておこなう行動です。私たちは「化粧品ってなに?」と聞かれたら、ファンデーションやマスカラ、口紅などと答えるでしょう。もちろん、正解です。ですが、それだけではありません。日本には、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」というのがあります。昔は「薬事法」とよばれ、いまは「薬機法」とよばれています。この法律のなかで、化粧品とはなにかということが定義されています。それによると、人の身体を清潔にし、美化し、魅力を増し、容貌を変え、または皮膚もしくは毛髪を健やかに保つことを目的に使用するものが化粧品とされています。つまり法律上、化粧とは外見を変えたり、美しく飾ったりすることだけではなく、清潔にすることも含まれています。なので、朝起きて顔を洗うこと、寝ぐせの髪を整えること、歯を磨くことだって立派な化粧なんです。そう考えると、化粧とは必ずしも大人の女性だけではなく、老若男女を問わずおこなうものなんです。

 

わたしたちは化粧というと、「化けて粧う」という漢字から、本当の自分を化粧によって欺いていると考えてしまいがちです。ですが、本来の意味は、身だしなみであり、素顔のままでは外からは見ることのできない本当の自分を表現する方法が化粧です。「化けて粧う」という漢字は、化粧がその昔「けわい」といわれたのにあてています。「けわい」とは、気配のこと。化粧をするひとの外見にあらわれない本質を、それとなく表現する手段を意味します。他にも「おつくり」「みじまい」などともいわれていました。「おつくり」とは、カタチをつくるということ。なにをつくるかといえば、もちろん顔です。わたしたちの顔は素顔では不完全で、化粧をして初めて本当の顔になるんです。「みじまい」とは、身仕舞い。つまり、身だしなみです。化粧をしないことは、身だしなみができていないことであり、素顔で人前にでることは失礼だと考えられていました。

 

ちなみに、化粧のことを英語でメイクアップ(make up)といいますが、「補う」という意味です。では、なにを補っているのでしょうか。一つには、そのひとの内面です。本当は優しい性格なのに、それが見た目で相手に伝わらないことがあります。ときには、顔が強面なせいで乱暴なひとだと誤解されることもあります。そのため、内面どおりに優しい人間だとおもってもらえるように、自分の外見にたりない優しい印象を化粧で補うわけです。化粧をするとき、わたしたちは「なりたい自分 / 他人からみられたい自分」をイメージして、それを表現しようとしています。ただ、美人やイケメンに見られたいからではないんです。化粧をした顔には、内面も含めた本来の自分の姿やこういう人になりたいという未来の自分の姿が投影されていると言ってもいいでしょう。

 

 

『化粧にみる日本文化』では、基層化粧時代、伝統化粧時代、そしてモダン化粧時代と時代を区切って分析をされています。『魏志倭人伝』にも化粧の話が記されているとあり、驚きました。化粧に対する考え方は、どのような変遷を辿ったのでしょうか。

 

化粧の歴史区分を古代、中世、近世とか、平安、鎌倉、室町、江戸といったような一般的な政治史的な区分で分類するよりも、どんな意味で化粧をしていたのかという化粧の意味や目的で時代区分を試みようとした結果、基層化粧時代、伝統化粧時代、そしてモダン化粧時代という3つの区分になり、それを提唱しています。 基層化粧時代は、魔除けなどの呪術的な意味や信仰的な意味、敵や味方を見分けるための所属集団の象徴としておこなわれていました。お歯黒は虫歯予防のための呪術的におこなわれていましたし、イレズミは所属集団の象徴と同時に魔除けとしてもおこなわれていました。基層化粧は、その化粧がおこなわれる地域や社会に関係なく世界的に共通する部分が多いのが特徴です。

 

伝統化粧時代は、誰のために粧うのか(化粧をするのか)がとても意識された時代の化粧です。化粧は支配層と被支配層の関係でおこなわれたといってもいいかもしれません。とくに男性の化粧は、支配層である貴族(公家)であっても、自分より上位に位置する最高権力者である天皇との関係のなかでおこなわれました。天皇を威圧させないようにヒゲを剃ることなども決められていたくらいです。また女性の化粧は男性との関係、特に家長や夫への従属のなかでおこなわれました。気候風土や政治経済、社会や文化との関わりのなかで、好ましくおもう美的志向が化粧に反映していることも特徴です。平安時代だと、貴族の穏和で、豊満で、悠長な嗜好が反映した化粧がおこなわれていました。それが平安末期に新しい支配層である武士が台頭すると、男性の化粧は戦を生業とする者が志向する戦闘的な勇猛で、豪気で、威武なものとなりました。伝統化粧は特定の社会や文化において共通した化粧行動や化粧意識が存在していることに特徴があります。

 

モダン化粧時代は、もちろん社会や文化の影響を受けますが、化粧品や化粧法が進化し、誰かのためではなく自分のためという「自己表現」の手段として化粧がおこなわれ、今に続きます。モダン化粧は今のわたしたちの化粧と同じですので、特に説明はいらないでしょう。

 

 

化粧が大きく変化する理由は、どのような理由が考えられるのでしょうか。

 

化粧、この場合は化粧の方法や化粧での表現の仕方という意味ですが、それが変化するのは経済や国際関係など時代や社会のあり方に影響を受けています。ちょうどそれは流行色が影響するのと同じです。バブル期に赤色の口紅が流行しましたが、景気が後退してから2012年頃までの約20年間はピンク系の口紅が主流でした。最近、赤い口紅が復権したのは、少しずつ景気が上昇しているからです。不景気の頃は「かわいい」を強調して、周囲から守ってあげたい、かまいたいという養護の欲求を引き出そうとするため、ピンク系の口紅が流行るわけです。景気が回復した今、赤色の口紅や艶やかな色味の口紅を多く見かけるのは、強い女性像が求められていることを象徴しているように感じます。ちなみに髪形もバブルの時代はワンレングスが流行りましたが、最近また注目されていますよね。面白いことに、女性の力が強かった平安時代、美人の証は長い黒髪の艶やかな黒髪でした。もちろんそこには、長くても生活に支障をきたすことがないという身分の高さも影響しているわけですが、日本では女性が強くいられる時代や社会のときに長い黒髪が流行るというのがあります。冒頭の化粧の心理学だけではなく、なぜ文化(史)も研究するのかというところに通じますが、化粧の変化を読み取ることで時代や社会の変化も読み取ることができ、これから来る時代や社会を化粧の変化から、また化粧の変化からどんな時代や社会がこれから来るのかを知ることができるからなんです。

 

 

昨今ではLGBTQの方々や日本でも男性のメイクが雑誌でも特集されるようになりました。現代における化粧は、どのようなものとしてあると感じられますか。

 

そもそも日本で言えば有史以来、男性が化粧をしてこなかった歴史はないわけです。戦国時代の武士だって、第二次世界大戦に従軍した兵隊さんだって、化粧をしていました。そのため、社会構造や規範が変化して男性が化粧をしはじめたわけではなく、正直に言えば昔から男性も化粧をしていたけど、化粧品メーカーの女性の化粧品市場が飽和になり、男性にももっと売りたいというマーケティング戦略の一貫としてメディアで取り上げられるようになったことで、なんとなく最近の男性が化粧をしはじめているという印象を一般に抱かせています。

 

ですが、高度経済成長期をきっかけに男が化粧なんてという風潮がひろまったちょっと前までの日本において、化粧をしたくても周囲の目が気になって自由に化粧ができない/できなかったという人たちには、化粧を自由に楽しむことができるきっかけになったことでしょう。アメリカ・ニューヨークに拠点を置いていた「We are Fluide」というコスメブランドのコンセプトは、「誰もがメイクによって自由に自己表現できるように」であり、全てのジェンダー・肌色に向けた化粧品が用意されていました。今はまだ過渡期ですが、これからもっと化粧は、「女性」だけがおこなうものではないという基本的な認識が広く共有されていくことを期待したいです。また、今のタイでは化粧品の広告に男女を問わず登場しているんですよ。日本も今後は男性用か女性用かにかかわらず、男性が化粧品の広告に登場するようになるといいですね。

 

化粧をすることによって日常生活上の性別と外見を一致させ、自分のアイデンティティを確立し自信をもって生きていくことが可能です。その意味で、化粧は女性がするものだとか、LGBTQ/LGBTQIAの人なら化粧をしても仕方がないかというのではなく、性別に関係なく服を着るように化粧もおこなわれていくことを期待します。そうなると、化粧の表現方法が、男性らしい化粧や女性らしい化粧ではなく、それぞれのセクシャリティやアイデンティティにふさわしい化粧、ひいてはその人らしい化粧が求め・認められるようになっていくでしょう。

 

 

現代ではプロのメイクアップ動画の視聴やAIなどの技術的なサポートを容易に得られるようになりました。化粧の技術や習得の仕方は、今後どのように変化すると思いますか。

 

これだけSNSやネット動画が出回る前は、どうやって化粧の仕方を学んでいたのか、今の若い人からすると謎かも知れませんね。昔は、お姉ちゃんに教えてもらったり、化粧雑誌とか学校の友達から情報を仕入れてやっていましたが、今は本当にプロの化粧のテクニックを繰り返し無料動画で見られたり、自分に似合う色をAIの技術で瞬時に知ることができるようになったりと便利になりました。

 

化粧に関するテクノロジーも急速に発展し、貼るファンデーションが商品化されたり、それをさらにPanasonicは自分の肌色を瞬時に配合して貼るファンデーションを作るガジェットを、イヴ・サンローラン・ボーテはその日の気分やファッションにあう口紅を数秒で作れるガジェットを、ロレアルは今の肌の状態に合うスキンケアクリームやファンデーションを自動的に調合してくれるガジェットを開発しています。これらは、化粧品のテクノロジーによる進化・発展です。

 

では、化粧の技術や仕方そのものはというと、まだテクノロジーが生かしきれているとはいえないでしょう。もちろん、スマートガラスなどでは化粧のやり方をディレクションしてくれるような機能はあります。ですが、上手くいっていません。それは、化粧の仕方ですら研究がすすんでいないからです。たとえば、なぜファンデーションを顔の中心から塗っていくのか。それはファンデーションが立体感をだすための化粧品だからです。顔の中心ほど相手に近く、出っ張っていますよね。ファンデーションが濃いと光の反射率が高まり、明るく出っ張って(膨張して)みえます。反対に、フェイスラインほど薄く塗ることになってしまうため、光の反射率が弱まり、暗く奥まって(収縮して)みえます。すると結果的に小顔にみえるわけです。これは錯視とよばれる心理学的な目の錯覚を利用しているわけですが、そういった理論もあまり知られていないため、ファンデーションを顔に均一に塗ってしまうようなスプレータイプのファンデーションが発売されてしまったりします。今後、化粧の技術や習得の仕方を進化・発展させていくためには、どうしてそういう風に化粧品を塗るのか(化粧をするのか)という職人技(難しく言えば暗黙知)をちゃんと理論としてあきらかにしていくことが、まずは必要です。

 

衣服デザインでも最近はAIが導入され、大学や専門学校でも画像生成AIを活用する方法が教えられています。ですが、じつはAIが導入されるにつれて、むしろパターンの知識が再注目されだしたという声もよく聞きます。どういうことかというと、AIが平面で正面から見た画像で学習して新たにデザインを提案しても、AIはバックスタイルまで考えていないため、しわの寄り方がおかしいデザインを提案してくるわけです。もちろん、今後AIがさらに進化をすれば改善されるかも知れませんが、いまはまだ昔ながらの服作りの知識がないと、AIだけでは大変なことになってしまいます。そういう意味では、まだまだ基礎基本の学習は大事なんですよね。

 

ちなみに、コロナをきっかけに在宅勤務やオンライン会議が普及しましたが、在宅勤務やオンライン会議のときは化粧をしない女性が増え、反対にそれをきっかけに化粧や美容に取り組むようになった男性が増えました。女性の場合、若い頃(10代)は化粧をすることを楽しく感じますが、年齢とともに身だしなみだから面倒だけど仕方なしにやるという意識が高くなります(もっと年をとると、肌の薬という意識がでてきたりするのですが。)。そのため、在宅勤務やオンライン会議でリアルに人に会わないのなら化粧をしなくてもいいやとおもったのかも知れません。反対に男性は、画面を通じて自分の顔を見る機会が増え、また自由になる時間も増えたことで美容や化粧に関心がでて取り組みはじめたのでしょう。そう考えると、変わらない化粧をする心理や目的が、テクノロジーが介在するとどう行動に影響を与えるかの研究は、急いで取り組まないといけないテーマかも知れません。

 

 

日本人は流行りに乗る傾向があり、せっかくの個性を出す手段があるのに、没個性になりかねない可能性があると思います。あらためて読者に、化粧をすることの魅力や意義を伝えるとしたら、どんなことを語られますか。

 

あらためて、これを読んでくださっている人に「どうして化粧をするのですか」と聞いてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。もちろん、なんとなくという人もいるでしょう。まわりがしているから、私もしてるという人もいると思います。ほかにも、かわいくみられたい、素顔だと恥ずかしいからという人もいるでしょう。かわいくみられたいから化粧をするという人は、かわいい自分になりたいという「変身願望」があるからです。いわば、かわいい自分が理想の姿です。化粧によって、今ある自分を理想の自分に変身させます。もちろん変身には、自分を理想の姿に近づけるというだけではなく、周囲が求める自分に近づけるという意味合いもあります。友達と一緒にいるとき、恋人と一緒にいるとき、家族と一緒にいるときで化粧の仕方が変わるのは、それぞれの人たちが期待しているイメージに応えようとしているからです。例えていうなら、俳優さんたちが舞台で演じる役が変わると化粧の仕方を変えるのと同じです。また、素顔だと恥ずかしいという人は、素顔の自分に化粧で手を加えます。自分の顔で自信のある部分を強調したり、見られたくない部分を隠したり。化粧によって、日々の自分の見え方・見られ方を管理します。こちらは変身というよりも、「身だしなみ」という意味の方が強いかも知れません。

 

わたしたちは素顔を本当の顔だと思っていますが、一日の大半を過ごすのは化粧をした顔です。友達が知っているあなたの顔は素顔ではなく、化粧をしている顔でしょう。つまり、あなたの本当の顔は、化粧をした顔なんです。その意味で化粧をするのは、一過性のおしゃれのためではありません。自分が自分としてあるために必要不可欠なんです。そのことを伝えたいですね。