それは体を持って生きる上では仕方のないことだ。
問題はそこではなく、その体で見たもの聞いたものが正しいと思い込む事が問題だ。
多くの人がそうだからとか、自分しかやってないという事実を物事の基準にはめてはいけない。
多くの人がそうとは知らず間違いを犯し続け、過ちに気付かずにいることだってある。
大事なのはなぜそれを正しいと思うのか、なぜそれを間違っていると思うのかを自分の言葉で説明できることだ。
だから、多くの人がやっているとか、自分しかやってないというのは理由ではないのだ。
物事の良し悪しや善悪を周りの価値観にはめて、口当たりの良い理由を述べることは自分の言葉で語らないという意味で無責任だ。
当然あなたのその意見が批判に晒されることもあるだろうし、意味も価値もないと目を向けられることすらないかもしれない。
それでもまた同じように考えなくてはならない。
大事なのは己であり、個だ。
集団は個が膨れ上がったものであり、個に比べ強力ではあるが、しかしその集団の個一つ一つに己がなければ、それは個以上に脆弱なのである。
痛い批判に晒されようとも、心が折れるともしれない孤独に晒されようとも、どんな時にも己を捨ててはいけない。
それでは何も開けない。